かけはしの輪



12月号の感想


2000年問題はあんまりだ
★「魔言」の2000年問題について。この書きようは、あんまりだと思う。ほんの10数年前、メモリの値段がどれだけだったか、知らないのだろうか? ほんの数 に何10万円もしたものである。そのわずかなメモリ上でなんとか高機能を実現しようと、ぎりぎりまで絞りに絞ってプログラムしたものである。今だって例えば「このソフトは何年先まで使われるか分からないけど、20年先におこる問題を予防するために、メモリは10GB、ハードディスクは100GB用意してください」なんていって、はいそうですか、というユーザがいますか?それを、ソフトメーカ、プログラマのけちくささ、ですか? こんなちょっと調べればすぐ分かることも知らずに、感覚だけで記事を書かないで欲しい。【ナンバー6】

魔言の記事はあきれるばかり
★「魔言」の「2000年問題」の件ですが「人間のけちくささから起こった問題だ」うんぬんの記事はあきれるばかりである。「的外れのことを言っているのかもしれない」と言っているがあまりにも無知である。私も当時経験しているのだが15年ぐらいまでは「血の1バイト」と呼ばれるぐらいにメモリが高価だったことを知らないのであろう。少ないメモリにプログラム・データを納めるのにどれだけ苦労したか知らない人間の言葉だ。当時は16kのメモリがウン万円という時代である。今はそこら辺に転がっているパソコンの 128Mのメモリが数万円である。当時これだけのメモリをそろえるとしたら億の金が必要であっただろう(もちろんそんなことを考えもしないが)。こういう背景を知らずにいる(知っていたとしたらより悪質だが)「魔言」の筆者の言葉を借りて言うならば「人間のけちくささ」と「大騒ぎ」するのはいかがなものであろうか? 匿名記事なことをいいことに「詳しくは知らない」と開き直るのはかまわないがろくに調べもせず「彼らのけちくささ」などと言われる筋合いはさらさらない。こういう記事を堂々と掲載していると「かけはし」の著者・編集者や記事自体怪しく見える。もちろん「大きなことを言う割に無知なたかが魔言のことば」と破り捨てるのは簡単なことだ。技術に理解のないこのような輩がのさばっているから「日本の科学技術は衰退している(かけはしの記事より)」という事態になりつつあるのではないでしょうか。【佐川正人】
▼誠に、もっともですが、そう狭く考えず、もっと十分広く考えていただきたい意見だと思います。ただ、私も生身の人間ですから、この意見の書き方については多少言いたいこともあります。私もメモリの容量について其の高価であったことについて知らないというわけではありません。もっとも、数キロバイト何十万円というのもごく初期のことでしょう。本当の初期はそうだったかも知れませんが、それは急速に安くなってきています。それをいつまでも高価なときのまま放置して置いてはいけないのではないでしょうか。此の世界では、分進秒歩と言われているほどです。なのに、初期の頃のプログラムで、先に重大な意味を持ってくるようなことを放置しておいたことは(気持ちとして、過去のことについて振り返ることは、進歩の中にいる人にとても面倒であり、したくないことであることはわかりますが)、やはり、大きな、問題があったのではないでしょうか。昭和 年、1984年当時、1200キロバイトの8インチフロッピーが一枚2000円していました。その少し前、わずか2行のディスプレイのワープロが数十万円していたことはよく知っています。メガバイトが国家機密であったことすらあり、大型計算機センターでの割り当ても今の光ディスクの容量の何分の一かということもよく承知しています。これはこういうことの一番の責任ある人の将来に対する見通しの甘さ、と、それに対する手当の不十分さについて、それを十分知らなければいけないこと、それを「人間のけちくささ」と表現したものですが、それを自分のことと思われるような真面目な方に対しては、心からお詫びいたします。決してそういう真面目な方々に対する文句ではありません。匿名をいいことにという批判はおやめ下さい。もう、身元は割れているのですから。真意が十分伝わらなかったのは、文章のまずさでしょうが、多くの方々が、この文に対して同感を示して下さっているのも一方の事実であることもご承知いただきたく存じます。もう一度言いますが、私は決して個々のプログラマー・技術者に対して文句を言っているのではありません。むしろ、色々な工夫に対しては敬意を持っております。今度の後始末でも大変だったと思います。しかし、その大本である人が、責任をそれほど感じていない様子に対して、怒りを感ずるのです。【田島毓堂】

生協は経営危機?
★11月度理事会報告では、「ICカード切り替えを機に経営危機を好転させよう」という刺激的タイトルで、10月の当期剰余は予算比でマイナス553万円とありますが、これは剰余がマイナス(つまり、赤字)とは違うと思いますが、「経営危機」と言うほどひどいのでしょうか。【コーギー】
▼理事会において毎月予算を達成していないという報告を受けて、少し表現が大げさになってしまいました。経営危機までは行かないまでも10数年ぶりの赤字決算となる可能性もあります。生協としては最後まで赤字決算にしないよう努力をしていきます。後一月(生協の事業年度は2月まで)あるのですが、組合員の皆様のご利用をお願いいたします。【箕浦教職員委員】

宣伝の割に集まらない献血
★献血の宣伝(?)、こんなにしているのに何であんまり人が集まらないんだろう・・・。寒いから?【K・S】

欲を言えば所要時間と金額も
★今月号の私の百名山の屋久島はぜひ行ってみたいところでしたので、楽しく読ませていただきました。地図も入っており見やすいです。欲を言えば、名古屋からのルート、所用時間、金額などを簡単に最後につけていただけるとうれしいです。【DNA】

今月は読み応えがある記事が多かった。 【相沢順平】

経済的な要因には疑問
★臨界事故等の原因の1つとしてのリストラ説に異論ありませんが、それを主として経済的な要因に求めるのであれば疑問があります。やはり指導者の能力・モラルに問題があるのでは? 会社が潰れたら元も子も無い訳ですから・・・。【金丸信明】

Fエースリンゴ美味しかった
★「安心・安全なFエースリンゴ」の記事を読み、さっそく2箱注文しました。新鮮で自然な甘み。とっても美味しかったです。来年も是非注文したい。よろしくお願いします。大学の独立法人化について、法学部の森先生、理学部の池内先生のお話を聞きました。かけはし今月号の河合氏の病院での「大学論議」は切り口がぐっと身近で説得力がありました。署名をお願いする際に参考になります。【エコちゃん】

文系・理系の垣根を越えて倫理の構築を
★大学論議を読んで。大学入試と無関係な「倫理学」を軽視してきたツケが今、社会のあちこちに出てきていると感じます。これからは、文系・理系の垣根を崩し、それぞれの分野での「倫理」(哲学)を構築していく必要があるでしょう。【薛偉耀】

いろいろ考えさせられた
★今月の記事では、日本の科学技術、大学の独法化、介護保険制度等についての問題をいろいろと考えさせられました。【ひろ】

丁寧な解説ありがとう
★今月は『読みもの』が充実していました。質問に対する丁寧な解説をありがとうございます。【赤塚保雄】

『かけはし』No.222を読んで
★  『かけはし』No.222を読んで、いささか感想じみたことを述べ、併せて、今大学が何をしなければならないかという、思いを書いてみたいと思います。
  まず、自分の文章は別として(魔言の25頁第2段4行目から6行目まで不要です)、読み応えのある、そして、考えさせることがひとしお多かったと思います。中條保氏の「百名山登山記」は読むものの襟を正させるような「修行記」を読むような思いでした。広木詔先生の文章にも、高熱の中でのできごと、やはり、強い執念を感じました。この頃、庭のピラカンサや南天の実がちっとも無くならないのを不思議に思っていましたが、どうも、これを食べる小鳥が、烏に追い払われてしまったようです。拙宅の犬のコンちゃんは滅多にほえず、ほとんど番犬の用はなしませんが、それが珍しく吠えているので、さすが、年末だなあと思っていました。ところが、何もそれらしい人影など見えません。庭に出てよくよく観ると、割れて中味のない、鳩の卵があり、転がっているのに吠えています。もっとよく見ると、雨水を溜めてある天水の中にもあり、おまけに水が飛び散っています。姿は見ませんでしたが、烏の仕業に違い有りません。ヒヨドリも、雀も、鳩も寄りつけなくなってしまっているのです。これも、人間のゴミがもたらした異変の一つかも知れません。とんだ所に寄り道しましたが、広木先生の文章を読んでいて、思わずこんな感慨にとらわれました。
  河合利秀先生の「ひとりごと」と病院での大学論議は、色々考えさせることの多い記事でした。時しも、政府もロケット打ち上げ失敗や、原子力関係の種々の事故、中でも、東海村における臨界事故(核爆発事故)、新幹線のトンネルコンクリートの落下事故等々にたまりかね、その原因追及と事故防止に関して委員会を発足させたというニュースが今日有りました。しかし、その認識内容についての報道はいずれも表面的なもので、これからの論議に期待したいとは思いますが、とても、真相に迫ることは難しいのではというのが、偽らざる私の感想です。まさに、財政再建とか、構造改革とかといってやっていること自体が原因になっているという認識はどうしてももてないようです。今まで、こういう事の原因になっていると思われる人員削減が何回にも渡って行われてきました。その度に、一律削減です。政治家に見識がない証拠です。必要と不必要の区別すらはっきり付けられないのです。中には、立派な政治家もいますから、十把一絡げに言うのは気の毒ですが、実権を握る人たちの見識のなさは致命的です。必要と不必要の区別を付けるのは辛いことですが、絶対に必要なことです。それを長年に渡り怠ってきたのが、政府です。そして、役人であり、政治家諸公です。憎まれること、嫌われることを覚悟でやるべき事はやらねばなりません。もう不要になっているところに人員を配置する必要はないことは分かり切っています。しかし、いまより必要なところだってあります。それを一律にしか削減できないとすれば、そんなことは高い月給を貰っている人がやることではないと思いますが、間違いでしょうか。
  権力と利権は腐敗の温床です。企業と官庁が癒着する事は放っておけば、むしろ、残念ながら当然でしょう。その意味で、私の先生が、言下に言われた、「人間性悪説」は正しいと思います。それを防ぐのが、各種の管理システムではないでしょうか。神奈川県警察では監理部門までもが一緒になって犯罪を助長していました。これは、ひょっとしたら何もここに限ったことではないと、ひそかに思っていますが、其れが、間違いで有れば幸いです。昔からこんな事はどこにもあったことで、今日では、ある種の監視のもとに、それが明らかになったのだということならば、むしろ慶賀すべき事なのかも知れません。一旦は「警察までも…」といって、国民ががっかりしているのも、ウミを出す痛みなのかも知れませんが、私はそんなに楽観的になれないことが、悲しいことです。何はともあれ、河合先生の文章を読んで、まだ、大学に期待されていることがあるのだと勇気を奮い起こされました。「若者」の言っていることは正直です。私は、この頃これを痛感していますので、「世のため人のためになる」ということ、「世界が平和でありますように」ということに、強い共感を覚え、非力ではありますが、少しでも、そうなるようにと心がけております。本当に、いつからこんな事になってしまったのでしょうか。考えて見れば、いろいろおもいあたるフシはありますが、このことは、又の機会に申しましょう。経済的見返りということ、何事もお金で考えると言うことが諸悪の根元であると思うと言うことだをもうしておきましょう。このことに関しては、独立法人化ということに関しても言えると思います。そのことに関しては次に申し上げようと思いますが、河合先生が、「少数派かもしれないが、意見表明することで、…」と仰っていることは、私もいつも思うことですが、意見を同じくする人が、ほかにも沢山います。言わないだけです。本当は言って貰いたいと思うのですが、なかなか、自分では言わない方々も沢山いらっしゃいます。口幅ったい言い方ですが、そういった方々の代弁をしているつもりで、是非、発言して行かねばと思っております。
  ところで、ようやく本題に入ります。「大学は一体何をすべきか」ということを考えなければと思います。生協の本売場で、かつて委員会でご一緒したことのある先生にお目に掛かってお話する機会がありました。私と同じように停年まぎわの方です。ほんの立ち話でしたが、我が意を得るような話でした。それも、もう、まともには、発言しても聞いて貰えないというような事ですが、今、一体大学はどうすべきなのか、何をすべきなのかということでした。
  地球環境は日に日に悪化しています。もう、このまま10年もたてば、取り返しのつかぬ事になるでしょう、というのがその先生のお話。素人ながら、私も同感。地球の資源は、酸素や水を含めて、その他全て有限。しかも、わずか数度も温度が上がれば、全世界が致命的な被害を被ります。誠に、微妙なバランスの上に成り立っています。有限の資源という、全く当たり前のことが忘れられて、資源のムダ使い、景気対策と称してアメリカの指令のもとムダを一生懸命進めています。幸い国民が割合さめていますからいいようなものの、政府初め、無責任な政治家諸公や、御用学者達が無駄遣いの進め。なぜ、リサイクルや使える物を直して使わないのか。ムダをするのが景気対策なのか。一般庶民の感覚でもやはり不景気とは言いますが、「一体何が不景気なのですか、あの、町のにぎわいはどうなんですか」と聞くと、「確かにそうだ、景気がいいときには無茶なことをしたものだ、それが今は出来ないということだ」といっています。正直なところでしょう。
  有限な資源を、地球の住民が等しく分け合うという考えはもてないのでしょうか。誰かが、大将になって、手柄を立てないといけないのでしょうか。もう少し、人間は利口になれないのでしょうか。心から悲しく思います。経済学者も、無駄を省いた生活が何故行けないのか、よく考えて貰えないでしょうか。それがいけないはずはないと思うのですが。物を作って売らなければいけないというなら、作った物を必要なところに持っていったらどうでしょうか。今儲けている一部の人が儲からなくなる、利権が手に入らないといったことで、必要としているところに無償で届けることが出来ないようですが、現在の厖大な税金の無駄遣いを洗いざらい公にしてみれば、その何分の一、何十分の一の資金で、我々の生産した物が、必要なところに届けられるでしょう。もちろん、それによって、利権政治屋さんは儲からないでしょうが、多くの生産者もその恩恵を受ける人々も助かります。「政治」は極言すれば、人々の生活をよくすることのみが仕事です。その中から、何かいい物が生まれてくればめっけものです。誤解を恐れずに言うならば、領土などは庶民に関係有りません。利権政治屋さんももう結構です。
  大学は、今、改革の最中ですが、この時に当たって、お金のことばかりを考えずに、「世のため人のために」なることは何かということを、よくよく考えねばならないのではないでしょうか。独立法人化必至という観点で、それに逆らうのは何も知らぬ者の戯言のようにいう人もいる中では言いにくいことですが、そういっている方々、本当にそれであなたの良心は納得しているのでしょうか。それとも、そのことを深くも考えずに時流に乗っているおつもりなのでしょうか。とくと考え直さないと、当面取り返しの付かぬ事態にならないとも限りません。「大学が、人々のためになるには、どうしたらいいか。」お金は大切ではありますが、決してお金だけが全てではありません。分かり切ったことですが。【文学部 田島毓堂】

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教職員委員会 12月号の感想
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