ニュースに一喝
−その21−
勝 利 宣 言
「2000年問題 米が『勝利宣言』」と題して、2000年問題委員会の委員長は「米国内の主要なシステムに関しては、2000年問題を『鎮圧』した」と述べ、「勝利宣言」をした。
このように、平成12年1月4日の夕刊に載っていた。同じ新聞に、日本政府は官房長官の記者会見で「2000年問題 事実上の安全宣言」とあり、彼我の態度の違いを示していて興味深かった。
「勝利」って、一体何に勝利したんだろう。何でもかんでも「勝利」「勝利」「勝った」「勝った」、困った人達だ。確かに、ひどい目に遭わずに済んだ。負けずに済んだのである。しかし、「勝った」のだろうか。慎みのない人達としか、私には見えない。逆に、いつも何かにおびえているから、「勝った」「勝った」といっていなければ不安なのかも知れない。自らまいた種をようやく刈り取ったに過ぎない。それも巨費を掛けて。
この頃もう一つ変な言葉遣いが、「地球にやさしい〜」、というものだ。地球は何も人間に優しくして欲しいなどとは思っていまい。地球を荒らして困るのは人間自身なのだ。地球はどうなったって何も困らない。恩着せがましく「地球にやさしい〜」などとは言って欲しくないだろう。
ところで「やさしい」とはどういうことか。言ってもなかなか聞いて貰えまいが、「やさしい」という言葉の基になっているのは「痩せる(古語では「痩す」)」である。「望む」に対して、そう言う情態であることを示すのに「望ましい」という形容詞がある。これはよくわかる。しかし、「懐かしい」は「なつき」たいような様子、「奥ゆかしい」が「奥まで行き」たいような様子、「慎ましい」が「つつむ」様子も大体は納得できる。
ただ、「やさしい」が「痩せる」ような気持ちといわれてもあまりピンと来ないかも知れない。しかし、この古い意味は、身もやせ細るような恥ずかしく辛い思いを示していた。万葉集の山上憶良の「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」は有名である。こんな気持ちで、「地球にやさしい〜」というのならいいかも知れない。あまり、自分中心に押しつけがましい言い方はせぬ方がいいと思う。 (T)
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