新フィールドノート
−その89−



微小重力の世界
名古屋大学情報科学研究科 広木詔三


 今年の名大祭は雨にたたられずに無事終了した。私は、月曜の一限目に授業があるので、日曜日にその準備をしなければならないときがある。六月五日も授業の準備のために出てきた。地下鉄の環状線が開通して、名古屋大学への交通が便利になり、地下鉄の名古屋大学駅の改札口を出て、地上に出ると、名大祭に参加する若い人で混んでいた。
 中央図書館の両側には、グリンベルト沿いテントを張った出店が並んで賑わっている。私は、その喧噪を避け、ひっそりとした法学部や経済学部の建物の南側を回って情報科学研究科棟に向かった。二十年以上も前には、名大祭企画の講演を聞いたり、授業を担当して顔を知られた学生に誘われて生ビールを飲んだりしたことを思い出した。夏目漱石や野上弥生子等の近代文学を専門とする助川徳ー先生とテントの下でビール片手に歓談したこともあった。当時は時間がゆっくり流れていたように思う。
 話は変わるが、つい先日、つまり六月二十一日、文系総合館七階のカンファレンスホールで開催された、高等教育研究センター主催の招聘セミナーに出席した。スタンフォード大学のデビッド・フェッターマン教授によるー大学教育改善のためのエンパワーメント評価ーというタイトルであった。私は、自分の行っている全学教育に少々自身が持てないので、この講演を聴けば、何か参考になることが得られるかも知れないと考えたのであった。講演の内容は、私の期待したような個々の授業改善のスキルに関してではなく、お互いに目標をもって自分たちでお互いに評価をすることが、参加者の意識を変えて自信に繋がるということだったと思う。平均点の低かった高校や、これまで近代的技術を利用してこなかったインディオのある地域の人々、もちろん大学の授業改善等々の様々な応用例を示しながら、そのポイントが紹介された。まず、目標をもつこと、インタビユーなりレポートを通して、問題点や課題の重要性に対して、各人の評価をごく簡単な数値で示し、改善に繋げるというのである。
 フェッターマン教授の話し振りは、かなり早口で、一通り理解したと思っても、話が終わると何がポイントか把握出来ないことに気づいた。その原因の一つには、現在、中央大学総合政策学部で講師をしている和栗百恵さんが、一区切りずつ通訳をするためであるようだ。浅黒く小柄な若い彼女の通訳に注意を向けると英語の理解が妨げられてしまう。彼女の通訳がなかった方が、フェッターマン教授の生の話をおそらくもっと理解出来たに違いない。彼女の通訳は、原稿なしで教授の早口の話を通訳するため、ところどころキーワードが訳されていなかったりするのであるが、彼女の通訳を聞けば教授のパワーポイントの表示とともにとてもよく理解出来るのであった。おそらく、私が教授の話を生で十分に理解しがたかったのは、自分の専門の生態学の分野とかけ離れていたこともあるだろう。生物学の分野だったら、これまで英語の講演は理解できたのであるから。
 私は、ここ二十年ほど、ラジオ英会話を聴きつづけている。比較的最近、ようやく自然に英語が聞き取れるようになった。ただ、話す方は、相変わらずものにならない。それはそのはず、実際に話す機会がないので、話す方の脳は発達しないようなのである。講演が終了して、三人ほど英語で質問が出たが、私は質問が出来なかった。講演の途中で、プロセス・ユースというちょっと難しい概念が出てきたので、その意味を確認する質問を日本語でしたのだが、フェッターマン氏は、機会あるごとに、私の方に向かって、このプロセス・ユースに関連した解説をしてくれたのである。それなのに、最後に英語で感謝と意見を述べずじまいだったのが悔やまれた。意外と時間が超過して、翌日の大学院の講義の準備のためにそそくさと、その場を離れたのであった。
 このように相変わらず話す方はまったくだめであるが、生物学の専門書はもう日本語のように読める。このことは英語で論文を書く研究者なら当たり前のことかも知れないが、私のように読むことと話すことがこれほど乖離している例は少ないのではないかと思う。もう六十を超し、せっかく話せるようになったときには死が待っているというのも皮肉な話である。
 最近、とても面白い本を手に入れた。"Gaining Ground"というタイトルの本で、私たちの祖先が魚類から分かれて、いかに陸上の四つ足動物になったかという内容のものである。著者は英国の女性で、ジェニファー・クラックという人で、彼女の本では、これまでのように鳥類をは虫類から独立させておらず、は虫類の一員として扱っている。彼女は、最新の分岐分類学の原理を取り入れており、面白いことに、我々ほ乳類は、通常の魚類とは別系統であるが、肺魚やシーラカンスの仲間だそうである。驚くべきことには、今は絶滅してしまったグループには足の指が六本や七本以上のものが数多く化石として発見されているそうである。もちろん、これらの指の数の多い四つ足動物は、現在の陸上の四つ足動物とは系統を異にしており、私たちの祖先はたまたま五本の指をもっていて、現世の両生類やは虫類や、さらには私たちを含むほ乳類はたまたまそれを受け継いでいるに過ぎない。中生代の終わりに巨大隕石の衝突で多くの四つ足動物が絶滅したが、私たちは、その地球上の危機を乗り越えてきた祖先の子孫なのである。
 私には九ケ月に入ったばかりの孫娘が居るが、遅まきながら、ようやく這い這いしはじめたところである。私はクラック女史の影響を強く受けたので、娘には悪いが、私は自分の孫をデボン紀に陸上に進出した四つ足動物の祖先と重ねて見てしまうのである。
 話はさらに変わるが、六月二十三日に、中部大学の小林礼人氏による「微小重力を利用した基礎物理現象の研究」という話を聴いた。これは我が情報科学研究科の多自由度システム論講座がセミナーとして小林氏を招聘したものである。
 現在建設中の国際宇宙ステーションは、地上八百キロメートルのところを飛ぶので、比較的地球に近く、無重力ではなく、きわめて微小な重力が働くという。このような微小な重力場のもとでは、気体と液体の臨界点付近では、粒子の挙動が重力の影響をかえって大きく受けて、粒子が興味深い現象を示すという。地上で、重力の影響をごくわずかに受ける装置を造って、その中の流体に熱を加えると、200マイクロ秒というきわめて短かい時間の現象であるが、熱を受けた流体は対流を起こさずに、熱だけが波として音速で伝わるのだという。
 物理学に関する話は本当に久しぶりに聴いた。スター・ウォズを連想させる宇宙ステーションの話や、微小な物理の世界にしばし耽った。情報科学研究科棟の八階で、こじんまりしたセミナー室で、とても優雅で贅沢な時間を過ごした。
 上記のセミナーでは、物理学をとても身近に感じたのだが、私は大学の学生時代にどうしても物理学の単位が取れなかった経験がある。このように物理は苦手でも、大学を受験したときは、物理と化学を選んで、生物を避けた経験がある。高校では唯一生物で赤点を取ったことがあるのである。
 過去の思い出にワープしてしまった。重力の話に戻そう。かつてモンゴリナラの根が曲がって伸びる発見について書いた。
 これは重力に関係があるのだ。


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