新フィールドノート
−その65−



執筆の苦労
名古屋大学 大学院人間情報学研究科 広木詔三


 今年も名大祭の季節がやってきた。梅雨に入り、雨がちである。梅雨の晴れ間も、気温と湿度が高く、蒸し暑い。今年の名大祭は雨にたたられずに済んだ。最後の日曜日、夜に大雨が降り後かたづけに苦労しただろう。快晴というほどではないが、昼食に出た際に、豊田講堂あたりから大きなバンドの音が聞こえてくる。昔のように、屋台に出向いて、生ビ−ルなど飲んでいるゆとりは今の私にはない。日本生命財団から助成を受けて、本を出版しなければならないのだ。連休明けの締め切りはすでに過ぎて、名大出版会から再三の催促を受けている。
 名大祭の翌週は、恒例のキャンパス・クリ−ン・ウイ−クである。水曜の午後三時半から、ゴミの回収や雑草の駆除を行うしきたりである。私は、人情棟の南側で雑草を駆除している一団に混じって大きくなったセイタカアワダチソウやヒメジヨオンを引き抜いた。私は、そこは早々に引き上げて、情文棟の南側の緑地帯に向かった。そこは私の息抜きの場である。情文棟の南口を出て右手の西半分は、草刈りをやめて貰っている。私の草むしりの場なのである。この一画の草むしりを始めて、かれこれ三年にはなる。ヤブガラシは以前ほど目立たなくなった。しかし、あちこちからヤブガラシの蔓は地面から顔を出してくる。地面の下を地下茎が這っていて、かつて稼いた光合成産物をこの地下茎に蓄えてあるのだ。であるから、この地下茎の養分が残っている限りは、新しいシュ−トを形成し、蔓を伸ばす。
 ヒメジョオンは、この一画からはすべて駆除しているが、毎年無数の芽生えが発生する。と言うことは、どこか周辺から、種子が風で運ばれてくるということだ。数えたわけではないがその数は数百から千に達するのではないかと推測している。一つの研究テ−マになりそうだが話はそう簡単ではない。運ばれてくる種子の数がわかっても、周辺のヒメジョオンで生産される種子の数がわからなければ意味がないのである。うまい話がそうあるわけはない。
 今年は、アレチヌスビトハギとギシギシに的を絞った。これまではこの二種については手を出さなかった。というよりも、そこまで手を出すゆとりがなかったのだった。その訳は、この二種は、地上部を刈り取ってもすぐまた再生してしまうのである。根に養分を蓄えているので再生が可能なのである。二度や三度では根の養分は無くならない。夏の暑い盛りに手をこまねいている間に、ゆうゆうと光合成を行って、その稼ぎを根に蓄積するようなのである。であるから、毎年行われている草刈りでは、アレチヌスビトハギとギシギシは絶やすことが出来ない。そこで今年こそはギシギシとアレチヌスビトハギを根こそぎ掘り取る手段に出た。アレチヌスビトハギの根は深くまで張っている。そう簡単には引き抜けない。秋には光合成で稼いだ養分で、さらに根をしっかりと張るので引き抜くのは困難である。春には、根の養分を用いて葉を展開するので根の張りが弱い。そこが狙いでもある。ギシギシは、年をくっているものは根がかなり太く深くまで入っていてやっかいなことに、引き抜くときに根が途中で切れやすい。残った根から再び葉を再生してくるのである。もう一つやっかいなことに、根の養分の量が多いので、葉の再生が急速なのである。引き抜いても、引き抜いても、その再生にうち勝てないのではないか、という恐れを感じてしまう。
 この忙しいときに、こんなことをしていてよいのだろうか、と、ふと、思うときがある。しかし、草むしりはストレス解消にはもってこいなのである。最近、夜中に眠れなくなることがある。もともと重度の花粉症で自律神経失調症ぎみではあったのだ。ここ数年、日曜・祭日も休まず、年末・年始もなく働き過ぎたせいであろう。いや、ストレスが大きく、アルコ−ルに依存したせいかも知れない。今では、アルコ−ルもいけない。血圧が高くなり、ちょっとした刺激で心臓のリズムが狂う。ストレスを感じやすく、人とまともな議論が出来ない。
 一昨年、日本生命財団から、生まれて始めて、自力で研究助成を受けたのだった。年一千万円の研究助成を二年にわたって受けたのだった。共同研究者は私を含めて十名であった。研究題目は、「東海丘陵要素植物群を構成要素とする里山の保全に関する学際的共同研究」というものであった。私は、科学研究費には一度も当たったことがないので、まさか日生の研究助成を受けるなどとは夢にも思わなかった。私の本来の三宅島の研究をさておいて、湿地やギフチョウやカケスなどなどの研究に時間を割いた。お金の配分や、研究の打ち合わせなどにも時間を取られた。昨年末には、報告書の作成に追われ、年末・年始を返上して報告書の作成に専念した。しかし、実際に完成したのは今年の二月であった。
 昨年は、教授に昇任して、主任とかいう慣れない業務も果たした。私の抱える院生は、一人は遺伝子にもとづいて二種類のシイの雑種について研究しており、もう一人は森林の遷移の研究に数理モデルを応用する研究をしている。私は、これまで、遺伝学とは縁のない人間であったし、数理的な分野はまったくうとい。したがって、院生の行っている研究を理解するためには並たいていではない苦労がある。院生同士の研究内容がかなりかけ離れているため、セミナ−やディスカッションは個別に行わざるを得ない。
 一晩中、心臓の鼓動が鳴りやまない。心臓が動いているのは有り難いが、鼓動が響いて寝付けないのはやりきれないものである。あるとき、ス−ッと楽になった。そのとき、心臓が止まったことに気づいた。必死になって意識を働かせると、また、ドッ、ドッ、ドッ、というよう鼓動が響く。有り難い、なんて感じる余裕はまったくない。そのうち一寝入りして朝が来た。
 昼間に、信号を渡ろうとしたときに血の気が引いたことがある。視界が白くなり、一瞬、気を失いかけた。心臓が言うことをきかないので、手足もなかなか思うようには動かせない。幸い車の通りは少なかったが、横断歩道の距離が何と長かったことか。
 あれほど好きだった酒を今では断っている。ビ−ルならまだよいが日本酒はてきめんである。酒の飲めない人生など人生に値しない、などと嘘吹いていた時期もあったが、今はそれどころではない。
 かけはしの原稿を書くのもなかなかたいへんである。現在進めている本の執筆はかけはしのようにはいかない。どうも、私は本の執筆をかけはしのように甘く考えていたきらいがなくはない。本の場合は、資料に当たらなくてはならない場合が多い。ときとすると、資料探しで時間が取られてしまう。また、あるときは図表の引用の許可願いを取らなければならないことも出てくる。共同執筆者に原稿の催促もしなければならない。
 名大祭の翌日、まだ完成していない原稿を名大出版会に持参して、6月中には完成させることで了解を取った。これから、カケスやサンコウチョウやオオタカなどについて原稿を書かなければならない。里山の生態系に関しては、昆虫や菌類についてはその道の専門家が執筆しているが、鳥類については原稿を頼める専門家が見あたらない。
 「かけはし」などを書いている場合ではない。今日はカケスについて仕上げる日である。


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