私の百名山 −その14−



縄文杉の屋久島・最高峰
宮之浦岳
(1935m)
附属病院 中條 保

はじめに
 世界遺産に登録されてからの屋久島は、国内はもとより世界各地より来訪者が増えたという。深田久弥著「日本百名山」は昭和39年に新潮社から刊行され、以来永年にわたり多くの読者に愛読され、かつその百名山登山が一種の流行にもなっています。氏はその選定の条件として山の「品格、歴史、個性」の三条件を挙げ、なおかつ高度は1500m以上を条件にして(例外は2山ある)北は利尻岳から南は宮之浦岳までの百山は、氏が厳選しただけあって私たち山の愛好家にとっても一度は登ってみたい山です。ここ数年来、所要で出かけた折りに近くに百名山が在れば、休暇を利用して登ることにしている。離島にある百名山は、この鹿児島県の宮之浦岳と北海道の利尻岳の二山のみで、いずれも国立公園に指定され、離島なるがゆえに自然環境が維持されてきたのでその景観もまた素晴らしい。
屋久島概要
 九州で最も高い山は、この屋久島にあり、その名は宮之浦岳(みやのうらだけ)という。ほかにも1886mの永田岳をはじめベスト7までがこの島にある。また1500m以上の標高を有する山岳は20数座あり、1000m以上なら40数座あるという。まさに洋上アルプスと呼ばれる所以である。年間降水量も8,000〜10,000ミリと日本一の降水量で「一月に35日雨が降る」といわれるくらい多雨地帯である。海水面から2000m近くの山頂までの垂直植物分布も多種類に及び、学術上貴重な島嶼である。南の島と言っても冬期は雪も降り山頂は積雪で覆われる。
 ガジュマル、アコウ、の亜熱帯植物
 タブ、シイ、カシの暖帯植物
 モミ、ヤマグルミの温帯植物
 ヤクザサ、シャクナゲの亜高山帯植物
 日本一の「縄文杉」c胸高16.2m。他に「弥生杉」「大王杉」「夫婦杉」等多数あり。
 1993年12月c世界(自然)遺産に登録。以来、観光客が激増。
 最高峰宮之浦岳c1935m
 島の周囲c約132Hのほぼ円形
 東西c28H
 南北c27H
 年平均c19.4度
 鹿児島空港c屋久島空港(第三種)一日4往復便あり、135H間を40分で飛行。
 鹿児島港c宮之浦港、安房港の間をフェリー、ジェットフォイルが一日数便、2時間から3時間の所要で就航。費用は飛行機の3分の1ほど
鹿児島から飛行機で
 一昨年の秋遅くに鹿児島空港から屋久島へJACのYS機で飛ぶ。鹿児島までは夜行バスも出ているし、列車もある。飛行機を乗り継げばより早い。さて、鹿児島を発つときは西風も強く青空に霧島連山がよく見渡せた。まだ登っていない山なので「いづれ登りたいものだ」と機内の窓から目を凝らして観察した。機は定刻に飛び立ち、霧島連山を後に噴煙たなびく桜島を左手に見ながら志布志湾を一またぎ、すぐ洋上前方に種子島や屋久島、これまた噴煙あげる硫黄島の島影が目に飛び込んでくる。窓辺に額をこすりつけて島影を追いながら、ふと私は終戦間近の鹿児島・知覧から飛び立った特攻隊の若者たちを思い出していた。

屋久島に着く
 飛行機が島に近づくと中腹から山頂に掛けては深い雲に覆われている。思ったより大きな山容で全島が大きな山の固まりといった具合だ。飛行場は島の東北にあり種子島と向かい合っている。冬の北西風を避け、南からの台風を避けるとこの位置が最適なのだろう。とはいえ小さな島ゆえ台風の通過や低気圧など前線が発達して通過するときは、交通が遮断されてしまうという島の宿命は避けられない。着陸寸前に大きな丸池が並んでいるのを不思議に思って後日尋ねると「エビの養殖池」だそうな。小さな滑走路の空港はまるで駐車場のようで左右に揺れる翼が怖かった。ターミナルビルも小規模で離島便を初めて利用する私は、大きな都市の空港とは勝手が違ったがそれでも親しみを感じた。

バスで楠川登山口へ
 屋久島到着11時30分。何か島の情報を得られるかと見渡すも、小さなビル内は何もない。喫茶店と土産物店が狭い片隅にあるくらいで周辺には何もない。荷物を受け取り空港を出ると駐車場の手前にすぐバス停がある。南の安房方面と北の宮之浦方面行きが同じバス停から出る。というより島を周回するバスが道路から50mほど下の空港敷地に下りてくるのだ。私は北に向かう12時6分発の宮之浦行きに乗車する。お客は少なく、その中にリュックを持った青年が「昨夜は雪が降りましたよ」と教えてくれた。少し不安になったが装備は万全なので気持ちを引き締めた。バスは17分で「楠川」に着いた。ここで私一人のみが下りて、停留場の前にある休憩所兼トイレの真新しい木造の建物で荷物を点検し、10分の休憩を取る。周囲は数軒の農家が静かに建っているのみでお店も人影もない。軽自動車で4人の学生風の登山者が楠川入口の標識を確認し、休憩所に入ってトイレを済ませて先に出かけた。12時30分いよいよ出発だ。畑の中を西に向かって緩やかに進むと老女が収穫の終わった畑で作業をしていて、挨拶をしてさらに進む。20分くらい歩くと30年生ほどの杉林に入る。シダの生えた切り通しを右手に大きく登ると東の方向に海が見えてきた。その向こうに種子島が横たわっていた。さらに15分ほど行くと林業作業車が止まっていて、舗装道路は終点となり登山道に変わった。

沢で昼食
 13時30分左手に楠川の中流部と出会う。水が豊富で美しく上流には建物もないようなので昼食にする。乾燥椎茸とワカメを入れたラーメンを谷川の水で作る。暖かいお茶も沸かしてボトルに詰める。若い4人連れが「三本杉までピストンする」と言って、手ぶらで登っていった。一人で作って、食べて、洗って、片付けるとやはり1時間はかかってしまう。昼食の後、石畳を敷いたように整備された階段道を進むと突然崩落地に出会う。明るくなった谷川の上部を用心して渡る。30分かけて三本杉へ15時到着。広くなだらかな盆地状の樹林帯は落葉樹が少ない。少し明るい場所は崩落防止の堰堤工事のためらしい。表面のコンクリートを板状模様のレンガを張って擬装してある。そこから15分で白谷林道に合流する。「駐車場へ300m。白谷山荘へ2.3km50分。楠川へ1時間40分」の案内板あり。林道は崩落のために通行不能のようだ。私は、白谷山荘を目指して、林道とクロスして右岸に沿う山道に入って行く。曇っていた空からいつしか霧雨が降り出し、深い常緑樹の森は夕暮れの様相である。  

弥生杉へ
 15時35分『巨木の栂』の前で「白谷雲水峡歩道案内図」が現れたので10分の休憩を取って、弥生杉へ行くかどうか思案する。せっかく来たのだからと弥生杉を見に行くことにする。源流部に一旦下り、再び登って行くと甲高い人声と間違えるような気配で前方を見上げると、小柄な美しい鹿が数m先に佇んで私をじっと見つめていた。首に掛けたカメラのストロボを静かに上げて、レンズの蓋も手で押さえながら開ける。カメラを構えても逃げようとはしない。「いまだ!」シャッターをきるとストロボが光った。その瞬間、逃げると思っていた鹿は逃げようともしない。もう一度カメラを構えるとゆっくりと茂みの中に入って行った。しばらく登って行くと今度は二頭の鹿が現れ、驚かされた。いづれも角が無くかわいい感じである。それでも夕闇が迫っているので、どのくらいいるか判らない動物達にとって私は侵入者なのだろう。やがて白谷雲水峡の「さつき吊り橋」を渡って100mも戻ると左手の山に入る弥生杉方面への標識が整備されている。橋のたもにリュックをおろし、サブリュックに雨具と飲料、貴重品とカメラを入れて出かける。昼食後は誰一人出会う者なし。この辺りは案内板がよく整備されている。駐車場からの見学者が多いコースのためらしい。弥生杉まで600mの案内板あり。木造の階段や橋などが設置されていて歩きやすい。シイやツバキ、タブなどの照葉樹林に混じって杉の木もある深い森の中の水平道を3〜4回、尾根と谷を交互に回り込むと20分ほどで、立派な杉板製の階段状見学台が取り巻く中に弥生杉が「樹高26.1m、胸高8.1m、3000年を経過して」鎮座している。他に訪れる者は誰もいない。森の中は静寂と迫り来る夕闇さえ荘厳な気持ちにさせてくれる。記念写真を撮っていると、もう薄暗くなってきた。来た道を急いで戻ると野猿の一団が追ってくる。二つほどのグループが時には激しく鳴きながら迫ってくる。屋久鹿も現れ夜が近いことを告げていた。

漆黒の原生林
 橋の袂に置いたリュックが霧雨で濡れていた。「さあ小屋まで頑張らなくては」重い荷物を背中にヘッドランプを付けて、今度は左岸をゆっくり登って行く。漆黒の闇夜になってしまった。屋久杉の原生林は迷路の中を歩いている気分だ。それでもランプに浮かぶ『二代杉』や『奉行杉』の白い表示に出会う都度シャッターを切るもフラッシュがうまくたけずにぼんやりした作品ができてしまった。小さな沢や低い丘、支稜をいくつか越えて行くが標識がほとんどなく、小雨混じりの滑りやすい木の根っこ道は、踏み跡がそれほど定かではない。せめて明るいうちなら。そう思うと少し不安になってきた。「少し時間がかかりすぎるな」。道標のない初めての道は、明るいうちに着けると思っていたので、少し焦ってきた。左手の川に沿って右手に小屋があると思っていたのに、それも無く、逆に道は左にカーブして下って行くではないか。

焦りは禁物・・転倒する
 それでも不安になりながら下っていくと、木の根っこにつまずき“すってんころりん”ヘッドランプは5〜6m下の崖に。ゆっくり起きあがると眼鏡がないではないか。一瞬“どきり”ランプは点いたまま谷間から私を見上げている。ランプの明かりで周囲を探すと幸いにも直ぐ近くで見つかった眼鏡を掛けて、ゆっくりとランプを拾いに行く。「いかん。焦ったらいかん」そう自分に言い聞かせて、地図を取り出し、地形を読み、他に道はないことを確かめ、だが念のためもう一度、今来た道を戻ってみることにする。少し登って、右手にカーブし、川の源流らしき左岸に回り込んで10分ほどで「白谷山荘→」の標識を確認。やはりこの道であっているのだ。間違いのないことを確かめ、再びこの道を進む。15分ほど下ると右手にトラバス気味に南下すると小さな涸れ沢がある。時折、目の前をムササビが飛び交う。緩やかな湿地を渡って稜線に突き当たると右手西方面にゆっくり登ってゆく先の木に、「小屋→」の標識有り。しかし、小屋は何処なのか判らない。入口まで来てようやくほのかな明かりが漏れてきて存在が判る。午後6時30分、ほっとして辿り着く小屋は、随分遠くに感じられた。






白谷山荘で
 中には3人のグループが余裕でアルコールを飲んでいて、もう一人の登山客は私より少し先に到着したばかりだ。荷物を下ろして暖かいポットのお茶と甘いお菓子で緊張と疲れを和らげる。それから、荷物を広げ、小屋の脇の小川で米をといで炊飯する。その間内部を見渡すとほとんどが土間に近く、低い床板が張って有り、右手にオープンスペースの2部屋、左手奥に4畳半ほどの2部屋があり、その隣に通路を挟んでトイレがある。もちろん電気はないので、よく見ると3人の先客は向こうのオープンスペースにいるので、私は手前のオープンスペースにテントを張り、濡れた雨具などをひもを張って乾かす。もう一人は、左手4畳半の個室に入っている。挨拶を交わすと3人は、写真を撮りに来た人と九州からここまで登山で来て帰るという人だった。個室の登山者は、私と逆方向の縦走をしていて、学生時代に登っていたが何十年ぶりかで登山を再開し、その手始めの山行として屋久島にきたという埼玉県の中年男性。人なつっこく、食事をする私の横に座り込んで、その後もしばらく氏の持参したアルコールを飲みつつ談笑。誰もいないと思っていたので「こんな雨の中を何処から来たのか」とルートを訪ねたり、出身地を話し合ったりして、秋の夜長は趣味の登山談義がはずむ。食事は一日の疲れを癒やしてくれる。あとかたづけと同時に翌朝のおむすびを作り、朝食の準備も同時にしておく。夜間、何が起きるかも知れないし、早朝にどういう発ち方をするかも判らない。天気や体の具合で対応が変わってくるからだ。準備は万全にこしことはない。(続く)

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