遺伝子組換え食品の安全性
名古屋大学医学部細菌学講座 太田美智男



始めに
 遺伝子組換え食品は人類にとって不必要な、あるいは有害なものであろうか。遺伝子組換え食品が悪いとする根拠は、(1)安全性が確認されていない。(2)アレルギーの原因となるかもしれない。(3)生態系を乱す。(4)米国の一部の企業に組換え作物の種子が支配される、などであり、一方組換え作物の利点は、(1)農薬使用量を減らすことができる。(2)収穫量の増加。(3)砂漠など劣悪な環境で育つ作物が可能となる。(4)長期保存できるようになる、などである。
 物事の是非を考えるときは正確な知識に基づいて行う必要がある。現在すでに市場にある組換え作物は大部分、大豆、トウモロコシなどに、(A)昆虫を殺す蛋白(BT)の遺伝子を組み込んだもの、(B)除草剤耐性遺伝子を組み込んだもの、である。BTはバチルス・チュリンゲネシスという菌がつくる殺虫蛋白であり、除草剤耐性遺伝子はアグロバクテリウム菌、アクロモバクター菌などの遺伝子をそのまま利用したものである。

遺伝子組換えされたDNA自身の安全性について
 はじめに確認しなければならない。遺伝子はDNAである。DNAはアデニン、グアニン、チミン、シトシンという4種の塩基が結合したものであり、その結合の配列が意味を持っていて、配列の違いによってさまざまな蛋白に翻訳される。それらの蛋白が生物の機能を行うわけである。DNAは細胞を構成する成分であるから野菜や魚、肉などに大量に含まれていて、われわれは毎日食べている。
 もしかしたら、遺伝子組換えによって食品に新たに導入された遺伝子(DNA)がわれわれの体の中に入ってわれわれの体の細胞にもぐり込み、細胞の本来持つDNAに悪さをするのではないかと恐れている人もいるかもしれない。確かに、培養細胞にDNAをふりかけ、2000ボルトの電圧をかけると細胞内にDNAが取り込まれて細胞内DNAと組換えを起こして結合してしまうことは観察される。しかし食品中に大量に含まれるDNAはわれわれの細胞内DNAの中に入り込むだろうか? 答えはノーである。腸管はDNAのような巨大分子を吸収して体の中に取り込むことはできない。食品として食べられたDNAはすい臓の消化酵素のひとつである強力なDNA分解酵素によって腸管の中でバラバラにされ、個々のアデニン、グアニン、チミン、シトシンに分解されてしまう。そうなれば単なる栄養素であり、吸収されて利用される。また人の腸管内に生息する各種の腸内細菌もDNA分解酵素を大量に分泌する。また、たとえ取り込まれたとしても血液にはDNA分解酵素が含まれていて、DNAの断片が体の中の生殖細胞などにたどり着くなどということはとてもできないし、細胞内に入ることもない。これは食品に含まれるあらゆるDNAについて同じことである。したがって組換え遺伝子のDNAそれ自身が食べた人になにか悪いことをひき起こすことはありえない。

組換え蛋白の安全性
 では組換えによって作物に導入された遺伝子からつくられる新しい蛋白は安全であろうか?これまでのところ組換え作物に用いられている遺伝子はそれぞれ細菌由来であり、いずれの細菌も自然界に昔から存在していてありふれたものであって食品にも付着し、人がはじめて出会った遺伝子ではない。そこからつくられる蛋白も、まったく新しい蛋白が遺伝子組換えによって地球上に出現したのではない。
 食品の安全性を論ずるとき、少し考えると食品は絶対に安全な食品と有害な食品に分類されるわけではないことに気づく。われわれが日常食べている食品で考えると、塩分は必要だがとりすぎれば高血圧などの原因となり、腎障害のある患者ではさらに有害である。糖分もとりすぎれば肥満の原因ともなることはよく知られている。糖尿病の患者は摂取カロリーのコントロールをしなければならない。魚の焼け焦げは強力な発ガン作用がある。またワラビにも微量ではあるが強い発癌物質が含まれている。牛乳やソバなど多くの食品は一部の人にとってはアレルギー原ともなる。ビタミンAなどの脂溶性ビタミンを摂取しすぎると、奇形などを生じることもある。添加物を全く含まないハムやソーセージはボツリヌス菌食中毒(死亡率30%以上)という恐ろしい食中毒の原因ともなる。酒にいたっては急性中毒、慢性中毒、慢性膵炎の原因となることがわかっている。それでも食べられたり飲まれているのである。組換え食品の組換え蛋白の安全性はこれらの食品と比較してどうであろうか? 薬品や食品などの安全性は普通まず動物で調べられるだろう。そこで急性毒性、慢性毒性、発ガン性、奇形の発生が無いことが確認されれば人に使用されることになる。あるいは何らかの疾患を増悪させるかどうかも問題となる。しかし人と動物ではしくみにやや違いもあり、動物で安全とされたものでも人に有害な作用を示すことも無いわけではない。これは一部の薬品で起こったことである。ところが幸か不幸か、すでに上記2種の組換え作物を原料とする食品は日本を含めて世界中で、多数の人が4年以上にわたって食べてきたものである。すなわち人で安全性の試験が行われてしまった。その結果が動物実験よりも信頼できることは言うまでも無い。BTを含むかもしれない大豆や除草剤耐性トウモロコシからつくられた豆腐、油などを1億人の日本人が数年間食べ続けて、下痢、嘔吐を起こしたか、あるいは他の急性毒性の症状を示したか? 何らかの神経症状を示したか? 何らかの慢性症状あるいは慢性疾患の症状を示したか? いずれも起こらなかった。では発ガン性はあるか? 何らかのガンが組換え食品を食べることによって増加したかどうかであるが、この数年間特定のガン患者が増加したとの報告は無い。しかしこの点についてはさらに長期の観察が必要であろう。奇形発生率が高まったか? これも特にそのような報告は無い。もともと奇形児は、原因が無くても5〜10%(千人当たり50〜100人)くらいの割合で生まれてくる。目に見えない奇形を加えるともっと多いだろう。人間とはそうしたものである。最近奇形発生率が5〜10%よりも高まったという報告は無いのである。

アレルギーの原因となる可能性について
 アレルギーとは特定の異物(抗原という)に対する過剰で有害な免疫反応のことである。例えば、花粉症、アレルギー性鼻炎、気管支喘息、食物アレルギーなどがこれに当たる。免疫は強いほうがよいと誤解されがちであるが、アレルギーだけではなく自己免疫病や膠原病、移植免疫など起こらない方がよい免疫反応があるわけで、免疫反応というのは強すぎても弱すぎてもいけない。感染免疫などは調和が取れた適切な反応でなければならないのである。アレルギー反応の特徴は、個人差が極めて大きく人によって異なることである。ある人に喘息を起こす抗原となるダニも、多くの人には何の反応も起こさない。一部の人に強いアレルギー反応を起こすソバはほとんどの人にとってはおいしい食べ物である。われわれが食べる米やパンでさえごく稀にはだれかのアレルギーの原因になるかもしれない。ちなみに私はチーズを食べるとひどい症状が起こってしまうので食べることができない。さて、組換え食品として発現されたBTなどの蛋白はアレルギーを起こすだろうか。これまでのところ組換え大豆やトウモロコシを原料とする食品で起こしたという症例の報告は無い。しかし可能性としては組換え蛋白がアレルギーを起こすことは否定できない。チーズやソバですらアレルギーを起こすのだから。大切なのはその発生頻度である。豆腐を1億人の日本人が食べ続けて何人の人がこれまでに組換え蛋白に対してアレルギー症状を示したか。統計学的に有意な発症数が見られなければ、これまでの組換え食品はアレルギー原としては問題にならないということになる。なお付け加えると、BTは昆虫に毒性を示すので人にも毒性を示すだろうという主張がある。これは生物学を無視した乱暴な意見であり、人と昆虫では生命のメカニズムが非常に異なっていることを忘れている。人と牛ですら毒素に対する感受性に違いがあり、O157大腸菌は多くの牛の腸内に保菌されていて人に重大な病変を起こすが、牛には何の症状も引き起こさないことを思い起こしてほしい。BT菌はそうめずらしい菌ではない。すでに述べたようにこれまでも食材料に付着してわれわれの口に入っていたはずであるが、なんらかの食中毒の原因となったことはない。むしろBT菌の親戚のバチルス・セレウス菌が問題で、昔から人に多くの食中毒を起こしてきた。

組換え作物は生態系を乱すか
 この問題は私の専門外であり責任のあることは言えないが、一つだけ述べたい。かけがえの無い大切な自然として、われわれが子供のころよく遊んだ里山がある。里山は下草を刈るなど人が絶えず手を加えることによって維持されてきた自然である。人が入らなくなってほったらかしにされた里山は、単なる藪になってしまい人との共生もできなくなる。人と自然の関わりを考えるとき、このような視点を持つことも必要ではないか。

最後に
 原子力の事故などが起こると、原子力だけではなく遺伝子操作など新しい科学の進歩の全体に懐疑的な意見が起こる。もちろんそれぞれの技術にはそれぞれ異なった問題点が存在するだろう。しかしそれぞれの技術には人類に対する利点もあるだろうと思う。それぞれの科学技術を人類にどのように生かすかはわれわれの問題である。われわれは大学人として、これらの科学技術の進歩に貢献するべく努力してきた。科学技術の進歩を一概に否定するのではなく、何が問題なのか、その問題はどのようにして克服するかを今は冷静に議論すべきときであるように思う。組換え食品の人類に対する利点は何であろうか? 最大の利点は農薬を減らすことができることだと思う。この点では組換え食品はより安全な食品である。それに収量の増加も得られる。たしかにアメリカの大企業に組換え食品の主要特許が握られている現状では、その恩恵はわれわれに届きにくい。しかしそれらの特許はまもなく切れる。そのときになってはじめればよいのではない。日本の企業は組換え食品バッシングが起こってバイオから撤退を始めている。大学院卒業生の就職先が減っているのである。組換え食品の問題は大学の問題でもある。

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教職員委員会 遺伝子組み換え食品の安全性
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