北京合宿の報告 -その3-

故宮博物院

 天津空港は、曇天と灰色のホコリっぽい大地が広がっていた。
 手から手へ渡った油と汗にまみれた人民元を最初に使用したのは、故宮博物院の手洗間(お手洗い)の使用料3角であった。
 バスで降り立てば、ここ故宮前の広場は、仏像や玉石等の土産売りが群がる。日焼けした商人の目は鋭く、仏像を片手に、「千円、千円」と、大きな声でどんどん圧しつけてきて、圧倒される。
 故宮の正門は、南の午門から入る。四辺を高さ32mの磚製の城壁と52m幅の堀が取り囲む。 城内の面積は72万F、約九千間の部屋があるという。丁度、名古屋大学の広さである。
 故宮は外朝と内廷に分かれる。外朝の午門より順に、太和門、太和殿、中和殿、保和殿の屋根が空を奪い合って競うかのように建ち並ぶ。
 磚で敷き詰められた広場に立てば、草木一つもない、全くの人工の世界である。
 思いめぐらせば、ここは、元、明、清、三大の王朝の皇居跡。ラストエンペラー溥儀が1908年、3歳にして即位し、1911年に6歳で退位した場所である。清王朝最後の、中国歴史上最後の皇帝の故宮での軟禁生活が思い起こされる。
 太和門(タイホーメン)門前の両脇に置かれた一対の青銅獅子。東側の右前足で鞠を踏んでいる雄獅子の雄姿に見とれる。西側の、左前足で、仔獅子をあやしているのが雌獅子。母性の優しさが伝わる。
 太和門をくぐって正面に見えるのが太和殿。三層の基壇の上に建立された宮殿である。後ろを振り向けば、雲龍階石があり、中央には龍のレリーフがあった。
 見学時間を惜しみつつ、足跡は故宮の広場に残して、思い出を心に焼き付け、帰るのであった。
 空は相変わらず曇天で、大地は乾燥してホコリ色であった。(文=矢田元彦)


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教職員委員会 北京合宿の報告 -その3-
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