私の百名山 −その9−



6月はミヤマキリシマで真っ赤に染め上がる
久住山(1,787m)
附属病院 中條 保


はじめに
 4月の異動で病院勤務となったため、新しい仕事へチャレンジする一年生職員である。先の勤務部局では多くの方々と楽しく仕事をすることができて感謝している。出会いと別れは避けがたいものだが、多くの方々との交流を通して学ぶことの多い機会でもあるので一期一会を大切にしたい。こちらに来てからも何人かの方々から我が拙文に身に余る期待の言葉をいただき、これを励みにもう少し頑張って書いてみようかなと思っている。さらに、「丈夫ん」さんが4月号の記事を読んでくださり、「かねがね久住に登りた」かったので、これも百名山になっているなら是非記事にとうれしい「声」が寄せられた。

久住山はどこに
 4月号で祖母山を紹介したが、祖母・傾山系は宮崎県の北部と大分県の西南部で県境尾根を形成し、久住は大分県の西端部で阿蘇と隣りあわせで熊本県の東北部と接する。久住山主峰を始め、中岳、大船山、稲星山、中岳など1500mを超す山が15峰を数え、中央火口丘群を中心に十重二十重に重なるところから「九重」という名前が起こったのだろうか。山塊は九州のほぼ中央部分、阿蘇、祖母・傾とともに九州の背骨を成す山脈が連なり「やまなみハイウェイ」が貫通し、バスターミナルの長者原(ちょうじゃばる)は広大な駐車場が整備されていて、一大登山基地、レジャー基地となっている。国民宿舎や宿泊施設も整備されている。

久住は火山の作った山並
 久住の6月は知る人ぞしる『ミヤマキリシマ』の紅で覆われることで有名だ。全山赤やピンクのツツジに染まるころ全国から自然の美を求めてフアンが押し寄せ、この時期は大変な人出が予想される。硫黄岳は今も轟音とともに噴煙をあげている。山並みに囲まれた中央湿地帯の坊ガツル脇には湯量豊富な法華院温泉があり、長者原から緩やかな道を1時間30分ほど歩くと静かな隠れたキャンプ場、山のいで湯に浸れる。春の新緑や初夏のミヤマキリシマ、秋の紅葉は言うに及ばず、厳冬期にも山男たちを魅了する『九州アルプス』は、四季を通じて山を愛する人たちのホームグランドになっている。

豊後竹田から久住へ
 城下町「竹田」については先月号をご参照ください。午前10時22分発のバスは、美しく静かな城下を流れる大野川の清流に望む駅頭をあとに長湯温泉行きの大分バスは、北に続く火山段丘を上ってゆく。道に沿って農家や住宅が点在する古い家並みだ。秋の取り入れや冬支度だろうか庭先で老婦が農作業に余念がない。バスの乗客は長湯温泉に湯治にゆく年輩の旅の夫婦、地元をよく知り尽くした中高年の婦人が数人。私が運転手に久住山への最短停留所を聞くものだから、乗り合いの婦人が丁寧に教えてくれた。「三叉路を右折してすぐに町役場の停留所なので、そこで下車して引き返し、来た道を西に直進すればよい。」と。親切な案内に何度もお礼を述べて別れる。土地の人の温かさが身にしみてありがたい。旅をしていて豊かな気持ちになれるときだ。

久住登山口へ
 最近は道路を歩いていても乗用車からはあまり声をかけてもらえない。たいていは鋭い早さで通り抜けてゆく。国道442号は歩道もなく、点在する民家の構えや庭先の樹木などの変化を楽しみつつリュックの重さを忘れる。私の登山は滅多にタクシーは使わない。公共交通機関を極力使って入山する。目的地へも極力所用を利用して出かけることにしている。時間と金をかけて登るほど急いでいないし、主義に合わないからだ。さて下車して歩くこと30分あまりで県立の種育場への道に入る製材所にさしかかる。そのY叉路を右手にとると田園のなかを緩やかに登ってゆく。正面に久住の火口丘群が高くそびえ立つ。15分ほどで静かな種育場に到達する。さらに道を右手に折れて200mほど進むと今度は左手に直角に曲がり、道成にゆくと杉の枝越しに久住が見えてくる。Y叉路から30分近く歩いて町営の浄水場に着く。左手後方に種育場の敷地が去り、その辺りから周囲は牧草地に変わり真正面に久住連山の全貌が迫ってくる。お腹もすいて時間も12時を過ぎているので、刈り入れの済んだ牧草地のただ中で食事にする。振り返れば西に阿蘇の山並みが南には祖母・傾の連峰が連なり、行く手の久住の山並みとに挟まれた雄大なロケーションの中で食事する気分は爽快である。今朝ほど竹田の駅前商店街で買ってきた『巻き寿司』と『いなり寿司』そしてミカンをほおばる。11月も中旬だが天気も良くて暑いほどだ。
久住本山表登山口
 12時25分、食事を済ませてすぐに表登山口の標識が林立する高原道路との交差するキャンプ場入り口に達した。それでも山麓はまだ広い。電車やバスは時間が気がかりであるが、歩行のみの場合はその心配がいらない。目の前に聳える山頂にアタックするのみだ。迷うこともなく眼前に目標地点はある。高く険しそうだが一歩一歩踏みしめて登れば2時間か3時間で登れるだろう。緩やかに15分登ると右手に法華院温泉への分かれ道に展望台の石碑が建っている。林道はさらに10分で行き止まりになっていて、RV車が一台止まっている。山道はいったん右手の沢筋に下り、樹林帯の中に入ってゆく。12時55分、カラ松の水場で40代の青年に出会う。「今朝、鉾立峠から稲星山に登り、下ってきたところだ」という。汗でびっしょりだが「山頂は強風で顔や手が冷たい」という。最後の水場は30分ほど登った岩陰にあるという(出水平のことのようだ)。

稲星越
 13時10分、出水平の下で落葉したミズナラの林の中を紅に染める紅葉を鑑賞しながら麓を眺め、休憩をしていると中年の夫婦が下山してきた。
   かさこそと 散る葉の音に 脅かされ
14時ちょうど、山頂から岩場が大きく崩れ、枯れ沢はガレ場と化して、崩壊する岩場の連続する辺りで休憩をとる。垂直登山を強いられたので疲れた。大きな岩の上で休憩し、麓の牧草地越しに霞の彼方に連なる祖母・傾の連山を望み、右手の阿蘇の山並みに目を移すと西日射す太陽に輝いて阿蘇五岳は雄大だ。50代半ばの中年男性が単独で降りてきた。これから登る私を心配してくれ「山頂は風が強く、非常に寒いですよ」と忠告してくれた。「法華院温泉に泊まる」というと少し安心してくれた。

稲星鞍部
 15時05分、夕闇が迫る鞍部に到着する。風は思ったより強く、人っ子一人いないのが不安である。標識のない中央火口丘の林立するピークは思ったより多く、どれがどの山か方角を見誤るほどで、一瞬怖くなる。帽子と手袋を身につけ、地図を広げて方位と行く先を確認して池ノ小屋の石室に向かう。30分で御池を見下ろす高台に来て、強風を避けつつもう一度地図で方位を確認する。久住山頂は一つ西のピークだ。時間もないので向かうことはあきらめる。地図は強風にあおられ容易に開けない。11時の方角から轟音とともに水蒸気雲が上空を覆う。硫黄の臭いが北西の風に乗ってやってくる。硫黄岳の噴煙だ。危険だろうか、このまま進めるだろうか。もちろん山の端に人影は全く認められない。かといってこのまま引き返すのもしゃくである。御池を時計回りに周回する群峰にチャレンジすることにする。とにかく風が強い。背を低くして岩陰を選び、時折行く手を阻まれ休息しながら登る。

中央火口丘群へ
 天狗ケ城に16時10分到着。中岳かと思って登ったのだが、到着して初めてその山の名を知る不安は大きい。それでも中岳を登って周回して法華院温泉に下るしか道はない。たぶん中岳だろうと推測して登る不安は大きい。中岳は本峰中の最高峰で1,791mある。真新しい木の標識が山頂にあり、それを確認することで遅い時間だが安堵する。風強く写真のみ撮影して方角を確認しつつ急いで下山する。鞍法華院温泉へは鞍部から左手に鋭角に中岳と白口岳の間の枯れ沢をゆく。中岳の東面が風を遮り嘘のように静かだ。それでもこのルートは地図の上では点線表示で注意を要するコースになっている。中岳の山腹を横切るルートは所々で崩壊していて、所々で枯れ沢に道が落ち込む。枯れ沢沿いであることを念頭に入れて、岩に滑らぬように用心して下ろう。目の前に坊ガツルが見えてくると法華院温泉は近い。しかし法華院は見えてからが疲れた体にはかなり遠く感じる。

法華院温泉で
 かつて、山伏たちが籠もって修行した所から名が付いたという、かなり大きな木造の山小屋だ。受付をそうそうに済ませ、お腹もすいているが、とにかく温泉に浸かり汗を流したい。10畳間ほどの広い畳の部屋で一人泊まる。着替えをもって温泉に急ぐ。薄暗い大きな木製の風呂は旅情をいっそうかき立て、時代錯誤に陥る。湯量は豊富で一人のんびりと汗を流し、早朝からの登山の疲れを癒す。湯上がりの夕食は決して立派な内容とはいえないまでも、きれいに残らずいただく。ストーブで暖をとりながら、食堂に飾られている久住の写真や案内、地図を見る。登山者が数人地図を広げて情報交換が交わされる。「この道、あの道を通った。安全ですよ」そんな会話のなかで、私より少し年輩の女性がいて、車で長崎からやってきたという。「高速道路を練習のつもりで始めて運転してきて、すてきなところなので、これからも時々来たいから」と言う。私は信心はしていないが、もしも神様がいるならばきっと天の神様が引き合わせてくれたのかと耳を疑った。食後5人ほどが残っての情報交換の中での話であるから、あまりにも確率がよいではないか。私は早速、長崎に行きたい旨を話し、同乗することをお願いする。

もしも
 私の計画は、早朝暗い内に宿を発って、長者原に出て一番バスに乗り、久大本線の豊後中村に出て、特急ゆふにのり、鳥栖で長崎本線に乗り換え、長崎に行くという大変費用と時間のかかるもので、高速バスや様々な交通手段を計画したが、最良のこの手段でうまくいって午後を回ってしまう。ところが、彼女の運転する車に同乗すれば昼頃には到着できる。しかも乗り換えなしで。午後に予定のある私にとっては、願ってもない出会いなのである。外にどのような条件があっても、私はこの機会を生かしたいと思った。

法華院を発つ
 夜半12時30分、一度目覚める。4時起床、トイレ、洗顔、朝食、歯磨き、パッキング。6時、星を抱いてヘッドランプを着けて宿を発つ。しらみはじめた坊ガツルを見下ろし、正面の平治岳、大船山を見ながら高台で朝食休憩をとる。「少し歩き始めないと食べられないから」という彼女に会わせて、私も日の出前の日食のような美しい山々のシルエットにシャッターを切る。残念なことに写真は引っ越しや異動で荷物に紛れて探せなかった。放牧が盛んだったために、原っぱが維持され、ヨシやカヤが茂り、そこが陸地かし始め、アセビや楓、クルミ、コナラなど落葉樹が多い林が形成され、明るい樹林帯を抜けてほぼ2時間を費やして長者原の広い駐車場に到着した。 広大な原っぱは舗装され、一大リゾート地と化し、やまなみハイウェイが貫通していて、土曜、日曜に登ろうという人たちで賑わいを見せていた。長崎までの快適な旅は、私の一人旅のなかでも最長のヒッチハイクとなった。ご主人が長崎大学勤務というのも奇遇である。Tさんの親切に大いに感謝して筆を置く。
(使用した写真は、ホームページhttp://www2.justnet.ne.jp/~10301213/mimata.htmの制作者梅谷〈北九州市〉氏の好意により、同ホームページのものを使用させていただきました。)

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教職員委員会 私の百名山
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