魔   言
−その15−



授業アンケート

   
 最近の改革ばやりで、大学の講義や演習を見直そうというわけで、やたらアンケート調査が行われる。論文にもアンケート調査を基礎にしたものもある。うまく設計され、そして、そのアンケートに答えてくれる人が真面目に、そしてまともに答えてくれればいいが、必ずしも実情はそうではない。しかし、世論調査にしろ何にしろ、いったんその調査結果が公表されてしまうと、いかにも確実なもののように取り扱われる。その実、調査対象者の答え方やその結果をまとめる段階でいろいろ問題はあるはずだ。番号を選ぶようなものなら確実だと思われるかもしれないが、それとてあまり当てにはならない。私が調査対象に選ばれたようなアンケートでも詳しければ詳しいで途中でいやになるし、簡単なものならそんなもので何が分かるかということになる。記号を選ぶものでも、選択に難儀する。場合によって答えは違ってくるので、おいそれとは答えられない。よく考えれば考えるほど、どちらともいえない、まあまあ普通、といった当たり障りのない答えになり、こんな調査は、ただ調査しましたということにしかならぬような気がするのだ。中にはきっとそんなものがあるに違いない。
 言葉の問題で、こういう使い方をするかしないかを聞かれるのが一番困る。時によりけりだ。こんな言い方は出来ないと言う人があると思えば、出来るという人もいる。数の問題ではなかろう。総じてアンケート調査なるものの信頼性について疑問を抱かずにはいられない。
 前置きが長くなってしまった。
 私は担当するある授業アンケートを依頼された。同じ授業を2クラスやっている。最初の時間、アンケートの前にレポートの締め切りのことで、その日だと言った言わないで一悶着。言ったことにして予定通り集めることを宣言した。そのあとで解答してもらった。よく確かめたら、私が教務課の調査に答えただけで、学生には公表してないと言うので、その後で前言を取り消し学生の言うようにした。それで、次の時間はその問題は学生の言い分を聞くことに最初からなった。
 アンケートの結果はくっきり分かれた。その前に不快なことを言われた学生達は、私の授業全体にはほぼ全面的な拒否反応、次の時間の学生と平生は差は感じられないが、こちらの解答は個人個人の違いはあっても、前の時間のようなことはなかった。
 これは、アンケート調査のやり方としてまずかったのだろう。人間は気分の生き物だから仕方ないが、どだいアンケート調査というものが安易すぎるように思う。真面目に答えようとすれば相当の時間がかかるものを、わずかな時間でやろうとする。やるなら手間暇掛けてきちんとしなければなるまい。そうでなければ全て無駄だ。
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教職員委員会 魔 言
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