北京合宿の報告 -その2-

抗日戦争記念館と廬溝橋

 初回は、北京合宿の前段として北京第二外国語学院到着までと検討した年度の教職員委員会の方針について述べましたが、今回からは、北京での観光スポットを中心とした行動を報告します。
 北京訪問の2日目、私たちは北京市街の南西郊外にある抗日戦争記念館と盧溝橋を訪れた。  盧溝橋といえば、盧溝橋事件(1937年7月7日、日中両軍の大規模な軍事衝突がおき、日本軍による本格的な中国侵略のきっかけとなった)の現場である。
 私たちはまず抗日戦争記念館を見学した。
 最初に、記念館の広い前庭の、怒りかそれとも嘆きか、天に向かって大きく口を開けたライオン(獅子)像が私たちを向かえてくれた。館の中に一歩入ると、正面に武器を待った眼孔鋭い中国軍(八路軍)の天井まである大きなレリーフが目に飛び込んできた。すごい迫力である。
 展示は写真、図、実物、人形などを使って、日本軍の侵略にたいし、どのようにたたかい打ち破ったかの経過と実際をイメージを持って解るように展示していた(たとえば、血を流し殺された母親にすがりつく幼児の人形や、張りめぐされた地下壕の再現は、真に迫ってきて迫力十分である)。展示物は訪れる日本人にも配慮して中国語と日本語で説明されていた。
 展示の内容は、廬溝橋事件だけでなく、中国全土にわたる日本軍の侵略のようすが各部屋毎にまとまっていた。南京大虐殺、731細菌部隊などなど、なかでも人体実験をおこなっていた731部隊の再現人形の生々しさや殺戮した幼児を山と積んだ写真の前では足が釘付けとなり、戦争の酷さをまざまざと見せつけられた。  展示の中に、当時の日本人の中にも、少数ながら中国侵略に反対した人たちのいたことを示すものがあり、そこだけホッとさせられた。
 記念館を出る予定の時間が迫ったとき、映画館のような広い部屋で、盧溝橋のいわれや、盧溝橋事件がどのようなきっかけで始まりどんな戦闘があったのか、模型とパノラマと映像と音響で説明をしているのを知った。説明は全部日本語である。しかし最後まで見る(聞く)ことが出来ず、そこを出なければならなかった。
 記念館を出た後、中国の子ども(小学生)たちは、1年に1回、義務としてこうした記念館(中国各地にあるという)を見学し、近代史の学習をするのだと、案内の中国人学生が話してくれた。年戦争(1931年9月日の柳条湖事件から1945年8月日まで)で日本が中国に何をしたのか、中国の人たちはきちんと知っているのに、日本人が知らないとすれば、恥ずかしいことである。
 記念館を出て私たちは盧溝橋を見学した。1192年に完成したという有名な橋は大勢の人でにぎわっていた。中心部の石は当時のものであり、踏みつけ禁止となっている。橋の下には、いまは乾期で水がなく自動車学校の練習場として車が走りまわっていた。
 橋の上から、私はさきほどの説明で知ったばかりの、最初に戦火のあがった下流の辺りを見つめていた。

(文=柴田・箕浦の合作)    


盧溝橋(ガイドブックより)
 北京市街の南西郊外に流れる永定河、以前は盧溝河と呼んだ。その河にかかっている橋なのでこの名がある。1192年に完成したこの橋は、石造りで全長266・5mアーチ形の孔個、欄干本。マルコポーロの『東方見聞録』の中に、世界でもっとも美しい橋と記されていることは有名である。橋のたもとには乾隆帝の筆になる「盧溝暁月」の字が見える。楽しいのは欄干に彫られた獅子の像でどれも姿や表情が異なる。ふつうでは、母獅子は子獅子に手をそえて、雄獅子は玉を手の下に押さえているといわれる。ここの彫刻はよく見ると、ほとんど2〜3匹の子獅子を連れている。あるものは背に乗り、あるものはおなかの下にいる。母の顔をのぞき込んだり、じゃれあったり、その姿の生き生きとしていることは、歩いていても見あきない。今ではこの橋は歩行者専用になっていて、車は新しくできた隣の橋を通るようになっている。1937年、日中戦争の発端となった盧溝橋事件の起こった場所でもある。

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