抗日戦争記念館と廬溝橋
初回は、北京合宿の前段として北京第二外国語学院到着までと検討した年度の教職員委員会の方針について述べましたが、今回からは、北京での観光スポットを中心とした行動を報告します。
北京訪問の2日目、私たちは北京市街の南西郊外にある抗日戦争記念館と盧溝橋を訪れた。
盧溝橋といえば、盧溝橋事件(1937年7月7日、日中両軍の大規模な軍事衝突がおき、日本軍による本格的な中国侵略のきっかけとなった)の現場である。
展示は写真、図、実物、人形などを使って、日本軍の侵略にたいし、どのようにたたかい打ち破ったかの経過と実際をイメージを持って解るように展示していた(たとえば、血を流し殺された母親にすがりつく幼児の人形や、張りめぐされた地下壕の再現は、真に迫ってきて迫力十分である)。展示物は訪れる日本人にも配慮して中国語と日本語で説明されていた。(文=柴田・箕浦の合作)

盧溝橋(ガイドブックより)北京市街の南西郊外に流れる永定河、以前は盧溝河と呼んだ。その河にかかっている橋なのでこの名がある。1192年に完成したこの橋は、石造りで全長266・5mアーチ形の孔個、欄干本。マルコポーロの『東方見聞録』の中に、世界でもっとも美しい橋と記されていることは有名である。橋のたもとには乾隆帝の筆になる「盧溝暁月」の字が見える。楽しいのは欄干に彫られた獅子の像でどれも姿や表情が異なる。ふつうでは、母獅子は子獅子に手をそえて、雄獅子は玉を手の下に押さえているといわれる。ここの彫刻はよく見ると、ほとんど2〜3匹の子獅子を連れている。あるものは背に乗り、あるものはおなかの下にいる。母の顔をのぞき込んだり、じゃれあったり、その姿の生き生きとしていることは、歩いていても見あきない。今ではこの橋は歩行者専用になっていて、車は新しくできた隣の橋を通るようになっている。1937年、日中戦争の発端となった盧溝橋事件の起こった場所でもある。 |
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