私の百名山 −その8−
荒城の月のモデル岡城・竹田市から登る
九州・祖母山(1,757m)
文学部 中條 保
祖母山とは
98年の秋、長崎への所用ができたのでこれを利用して九州の百名山に登ろうと計画を立てた。九州には6つの百名山があって、そのうち私は阿蘇山と屋久島(宮之浦岳)に登っているので残りは4つである。しかし、祖母山はどこにあって、どこから入るのかは全く知らなかった。そればかりか祖母山の名前も今回初めて知ったくらいだ。
九州の中央部の火山脈
大分県と宮崎県、熊本県の県境には阿蘇、久重、祖母の山系が九州の中央部分を構成している。前二者は火山としても有名であるが祖母山は写真でも見たことがなく、全く知識がない山である。まずは昭文社発行の「山と高原地図」で地形やコースタイムを把握する。
祖母山の位置
大分県の西南にあって、宮崎県と熊本県に接し、祖母傾国定公園をなす。山麓は県立自然公園として青少年旅行村や鍾乳洞などあって広範囲にわたり自然が保護されている。九州でも最も山深いところであろう。数年前に阿蘇から高千穂(宮崎県)に入ったが、そのすぐ北隣にあることが今回わかった。
JR大分から竹田に入る
豊肥本線は(豊後)大分から(肥後)熊本を結ぶ九州横断鉄道であるが、過疎化はここでも進行していて、2両か3両連結のディーゼル列車が海岸線から内陸高地へと引いていく。それでも朝の駅頭は通勤客と通学客で混雑していた。JR九州大分駅では斬新な制服がよく似合う駅員さんの親切とサービスが満点である。竹田までの切符を求める私の手助けや竹田市内の観光案内パンフを準備してくれたり、至れり尽くせりである。列車は重いうなり声をあげながら美しい大野川にそって蛇行しながら山間の地へと入っていく。大分大学は二つ目の駅「敷戸」下車、徒歩 分であるそうな。早朝であったので私は、大分駅で買った弁当を乗客の少なくなった座席で移りゆく美しい景色を眺めながらゆっくり味わった。
豊後竹田は滝廉太郎の故郷
豊後竹田へは午前9時28分に到着する。予定よりも1時間早く到着したので、登山口へのバスまでしばらく時間があるので滝廉太郎作曲の「荒城の月」のイメージモデルとなった「岡城」と竹田の町並みを散策することにした。古い端正な武家屋敷や小京都のような城下町は歩いていて飽きない。町の周囲を清流が流れ、駅の反対、南方角2Hほどの高台に城はある。駅前の広い川を渡り、町並みを横切り、城跡に急いだ。広瀬神社脇からトンネルを抜けて、竹田県立高校を左手に見ながら城跡に登ってゆく。大きな駐車場の裏手に入場券を売っているが(@300)どこにももぎりカ所はない。南北は絶壁になっていて、南側に川が流れ、さらに3軒ほどの土産物屋と骨董屋がある。大手門は左手の坂道を登ってゆく。門の跡付近で発掘か復元の作業をしている老若男女10人ほどに出会う。広い城内は東西に細長く、ちょうど紅葉の最盛期であった。桜も美しいというのでまた来てみたいものだ。本丸の石垣も補修のただ中で、工事の作業員の犬が2匹のんびりと昼寝したり、散歩している。帰りは北側から急な道を下って駐車場に出る。高校脇のトンネルをくぐって、神社の前から左手に折れて築地塀や木戸、玄関門、日本建築が美しい武家屋敷を見ながら滝廉太郎記念館(生家)を経て円通閣、愛染堂、大正公園から稲葉川に降りて竹田駅に戻る。駅前の古町通りの商店で弁当を2個とパン、スポーツドリンク2Pを購入して、12時20分発のバスに乗る。
神原
終点の「神原」へは、川に沿った山間の細い舗装道路を曲がりくねって進む。時折、製材所が目につく山国だ。神原は神話の山里であるが、今は自動車道が整備され二本の川のまじわる狭い盆地に20軒ほどの民家が点在し、バス停付近にはパーマ屋さんもある。田圃など耕地面積も思ったよりたくさんある。二車線の舗装された立派な広域林道を西に歩く。途中、あまりにも暖かいので半袖になる。登山口終点のバス停は広くて美しい林道がどこまでも連続する中程にあり、少し不安になる。35分歩いてようやく登山口に達し、左折して昼なお暗い杉林に入る。それを利用して両側に椎茸栽培がおこわれている。一合目の滝は廃屋となった観光ニジマスの養殖池の右手を川に入って行く。路はさらに10分ほどで上の駐車場まで続いている。
一合目の滝
13時43分到着。少し遅い時間だが、とにかく行ける所まで行こう。今日の宿は5合目にするか9合目にするか決めてはいなかった。明日の朝遅くとも二番のバスには乗ろうと決めていた。最悪三番のバスだと次の日程がきついからだ。とにかく今は休憩だ。滝壺の石に腰を掛け柿をむいてポカリスエット2杯を飲み干す。14時00分出発。崩壊している滝の左手脇をよじ登ると山道に合流した。しばらくは杉と桧の植林山を行く。やがて広葉樹も現れると5合目小屋は意外に近かった。途中、荷物が日帰り程度の40代の青年とほとんど荷物なしの50代の単独者が下山して行くのに出会う。これから登って行く私に心配してアドバイスをしてくれた。
五合目小屋
小屋にはちょうどワンピッチ歩いて14時40分に到着。宿泊するには、まだ陽は高く暖かいので先を行くことにする。参考のために小屋に入ると、かなり広く清潔だ。前室は囲炉裏の間になっていてここでも10人くらいは悠に寝れそうだ。奥の部屋は20人ほどが泊まれる平屋だ。すぐ裏手には豊富な清流があり、生活用水には困らない。表に出て休憩していると60代くらいの体格の良い紳士が単独で下りてきて「今は別府にすんでいるが船乗りだった頃は神戸に住んでいた。先の地震で名古屋に住む姉を頼って名古屋の黄金陸橋辺りに住んでいて、免許証は愛知県警発行だ」という。定年になって、妻の故郷の別府に帰ってきたという。小屋の周囲は紅葉が美しく、樹木の説明や山の自然の解説が行き渡っている。
七合目
左右に渓谷が次第に深くなり、中程の急な登りが連続する狭い尾根筋を行くと、対岸から猿の鳴き声がこだまする。15時55分、危険カ所の表示が多くなったのと、疲れたので7合目で休憩する。崩壊場所が数カ所あるもののそれほどの危険は感じない。「山頂へ1.6H。神原へ5.7H」の地点である。
国観峠
トランジスタで相撲を聞きながら登って行くと、時間も遅いせいか猿や鹿の鳴き声が近くで頻繁になり、少し恐いくらいだ。30分ほどで峠と言うよりはテントなら5〜6張りは張れる山頂のような平地に16時33分到着した。豊後の国を見渡す台地から付けられた名称だろうか。広場には地蔵尊が一体祀られていて、夕暮れ迫る稜線は少し不気味だ。写真を撮って早々に出発する。「山頂へ1.0H。神原へ6.3H」の標識有り。
山頂へ
峠のすぐ上で八合目。この辺りからクマザサやアセビが生い茂り道が少し湿ってぬかるむので、不思議に思ってよく見ると白い霜柱が残っているではないか。左手に九合目小屋入口の表示有り、時間的にはかなり遅い17時06分を廻っている。このまま小屋に行くべきか、山頂に行くべきか迷う。翌日の事を考えれば行っておきたいが、暗くなって道を間違えれば大事だ。結局、そのまま進むことにした。
祖母山山頂
17時14分、ついに山頂に到達する。阿蘇の山脈に夕陽が沈む直前の光景をカメラに納める。茜の雲の下に県境の山々が濃く、薄く聳えている。山頂を南に下ると傾山への稜線が連続する。高千穂もこの方角だ。周囲は山また山の連続で、あたかも国作り神話の主人公になったような景色だ。写真も早々に九合目小屋に急ぐ。
九合目小屋
登ってきたルートを左手に見て、ほぼ真北に灌木の間の急な道を下ると、やがて右手に緩やかな弧を描いて20分ほどで落葉樹林の中に建つ九合目小屋に到着する。17時30分になっていた。ソーラーと風力発電で電灯のある山小屋は珍しい。水場もすぐ50mほど下にある。先客が一人いて、私を歓迎してくれた。「一人なら寂しくてどうしようかと思っていた」という。徳島からきたという中年者は、私と似た年齢で日和佐町の老人ホームに勤務する職員で10人ほどの山のサークルに所属していて、山登りを始めて7年余りで百名山のうち60峰余りに登っているという。かなりのハイペースに驚く。今年はすでに13峰登ったという。ストーブで暖をとりながら彼は「これが楽しみで」と紙パックの日本酒を取り出し、1本では足りず2合を飲み干した。私は翌日に備えてポカリスエットで相手をした。話しは弾んだが翌日を考え20時ちょうどに就寝する。外は満天の星空で、麓に目を移すと町並みの灯りが遠くまでよく見えた。明日はきっと良い天気になるだろう。
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教職員委員会 私の百名山
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