魔   言
−その14−



うまいこといったもんだ

   
 雛祭りもすんだ。元々は厄払いの行事で上巳の祓えといった。人間のつみとがを紙で作った人形に全部負わせて水に流してしまったということだ。昔から人間は勝手なものだ。最近では、雛人形を流してしまうなどということはない。江戸時代から、上流社会では、富にあかして、随分贅をこらしたものが作られるようになった。庶民は土で作ったもので我慢していた。素朴な味わいのある、古い雛人形が各地に保存されている。
 今では女性専売のようになっているが、私の先生などは、季節になると段飾りの雛人形を飾り、これは私の子供の時からのもので、何回かの引っ越しにも必ず持ってまわったと言われた。それが、一般の風習なのかどうかは聞き損なった。
 雛祭りがすむとどの家庭でも、早々に雛人形を片づける。それよりさき、三月三日の前には雛人形のある家庭では、たいていしまってあるのを出して飾る。他のものだったらなかなかこうはいくまい。一度しまったら面倒くさくてなかなか出してこないし、逆に出してきて飾ったら、見飽きるほど放りっぱなしになることが多かろう。
 以前、生活にゆとりがあり、悠長であった頃には、時にあった軸物を出して床の間にかけたり、障子は夏には簾戸にかえ、すだれを掛け、風鈴を出したり、・・・等々、季節にあった風物詩があった。今や狭い家が、飾りもの等が所狭しと飾られ、いや増しに狭くなっている。片付けようにも片付け場所もない。飾りものも、綺麗に片付けられたところに、似つかわしく飾られていてこそ風情があるが、ゴミ同然に放置されたように所狭しとあっては、風情を感じるどころではない。
 それなのに、雛人形に限っては、時にあわせて飾られ、時期が過ぎればきちんと片付けられる。ご承知の通り、目のある人形は一年に一度は出して飾らねばならないといい(もっともこれもお雛さんにしか通用しないようだ)、三日を過ぎて何時までも放っておくと娘の結婚時期が遅くなるという。いつまでも結婚せずにいられては困る。その人の心の機微をついた言い伝えだ。しかも、人間の欲望をくすぐり怠惰を戒める絶妙の言い伝えだ。
(田島毓堂)  

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