「法華経」為字訓の謎



為字の訓読法を歴史の中に学ぶ
1998年11月18日(水)


 文化講演会[「法華経」為字訓の謎]という謎めいたテーマで迎えた文学部田島 毓堂教授の講演は、大変情熱的で学究 年あまりをかけたと言うだけ合って、自信と確信に満ちた内容で、聞く人を引きつけ、退屈をする暇がありませんでした。
 午後5時 分、申し込みを受けた 名全員が参加し、さらに3名を加えて 名が参加し、グリーンサロン東山のミーティングルームで味噌汁付きの美味しい生協弁当の夕食を取りながら開講を待ちました。
 午後6時から、田島先生は、満州で生まれた生い立ちやご自身の名大生時代から教育者、研究者となられた経過を振り返りながら、やがて確信のテーマに入っていきました。
理系の方には少し興味が薄いかも知れないし、文系でもかなり特殊であり、専門家も少ない中で、こだわってきた研究の満足感が聞く人に安心感を与えてくれました。
「語彙」研究は、比較文化学の分野でその意味が発揮される。母語=母国語しか知らない日本人には、理解することが難しい。しかし、他国語を学ぶときには基本語彙を学習することから、理解と習熟度が高まる。と言う講義には、なるほどと納得させられた。
 また、佛教典を通して「為」字の訓読法がどういうふうに読まれたり、付けられたりしていったのか。その出典の根拠や言葉の発展についても資料を基に詳しく講義され、一こまの授業内容としては、大変密度の濃い講演となり、その後の質疑を通しても理解が深まったと思います。釈迦により口述され、その弟子達が現していった仏教典。その後、中国を経て古代大和政権の国教として流布され、今日の日本人の精神構造形成に少なからぬ影響を与え続ける仏教。その教典の変遷などが日本人の語学、文学を通して精神文化の形成に与えた影響についての理解の一助にでもなれば、主催した教職員委員会として望外の喜びでもあります。

参加者の感想
●文系の先生の研究が少し理解できたような気がする。宗教のことを考えもしたことが無く、よい勉強になりました。(N)

●内容としては、少し自分には難しかったです。(A・T)

●興味深く勉強に参加できましたが、何分基礎的なことが不足で、先生には申し訳なかった。(K・T)

●どんな話か不安でしたが聞いてみて少々理解できた気がします。今まで考えてみた事もないテーマでしたが日本の仏教の一すじが見えた気がします。(S・O)

●タイトルにひかれ参加しました。法華経とも、文学ともあまり関わりのない生活をしています。ですが生活の中には漢字があり、読みも複数あるものがあり、それぞれの意味があることには関心がありました。今回一番新鮮だったお話は、他の言語と比較をするということです。実際にはどうするかイメージできませんが、日本語が何か新しいものになった気がします。楽しい企画をありがとうございました。(Y・H)

●法華経の関心が深まった。(K・D)

●謎がわからなかった。(M・Y)

●漢文を習うと返り点とかレ点に悩まされたものだ。その時のふりがなで、何故、この漢字がふりがなのように読めるかどうか、わけがわからなかった。中国語のまま読む方が、本意が伝わるのではないかと思った。宗教の教典はある時代、ある所では生活を定めるものであったと思う。その解釈は重要なカギであり解釈する人の性格により変わったのではないかと思う。(K・O)

●高校の時に漢文を勉強しただけで非常に難しかったです。不覚にも眠り続けてしまい内容は理解していません。今もそうですが昔も言葉の壁は厚く厳しいものだったのでしょうか?(K・S)

●「かけはし」の講演会案内やメールによる案内を見て、法華経の経典に出てくる「為」という文字のさまざまな読まれ方をしている不思議さに興味を持ちました。
 講演のクライマックスになったところで、学術的にも貴重な法華経の経典が順に回覧されてきました。それを見ると「為」という文字の横に訓という文字が書かれていて、その真下に「得」とか「是」とかの文字が付け加えられていました。 これが講演テーマである「為字訓」(為字に与えられている訓)であることが分かりました。経典の中の「為」という文字を読むときに訓が無いと全く意味の通じないものになっていまうために、「為字訓」があるのだと思いました。
田島先生の資料によりますと、「為」という文字は文章によって求(モトム)、当(マサニ)、得(ウ)、定(サダメテ)、被(コウブル)、是(コレ)、名(ナヅクル)、以(モテ)、助(タスク)など九通りの読み方があることを知りました。
 お経の中には「為」という文字が沢山出てきますし、一般の古文書の中にも一行の中に一文字程度は出てきます。この時、「為」という文字の意味が理解できず途方に暮れることがあります。古文書の中には「為」の横に「是」とか「当」などの文字が書き添えられているものもあります。これが「為字訓」であることを知らずに読んでいましたが、これらは法華経の影響であることが想像できるようになりました。そして、「為字訓」の存在を知らなければ古文書も読めないことが分かりました。
講演会では田島先生の巧みな話術に魅了されての一時間半の講演でありましたが、法華経の貴重な資料に接することができたことや「為字訓」の存在を学ぶことができたことに大きな喜びを感じました。 暫くは「為字訓」の謎のことが頭から離れないような気がしています。(T・S)
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教職員委員会 「法華経」為字訓の謎
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