北京第二外国語学院(3人)、南京大学(2人)、
上海・復旦大学(1人)から
短期交換留学生を招きました。


自分の作った作品を指して。(左から雷さん、王さん、呉さん。9月17日、土岐市どんぶり会館にて)

 9月17日、名大生協の招待で来日中だった短期交換留学生・北京第二外国語学院四年生、雷雅倩さん、王暁萃さん、呉暁群さんの3人は、教職員委員会企画──どんぶり会館(土岐市)での陶芸体験と「日中不再戦の誓い」の碑見学、中国人殉難者慰霊供養の法要(中国人殉難者瑞浪市供養会主催)に参加しました。
 午前 時半、どんぶり会館に到着すると、さっそく3人は陶芸教室に入りろくろを前に粘土と格闘しました。3人ともろくろは初めての体験らしく、想いどおりの形に仕上げるのに苦労している様子でしたが、先生の手を借りて、器や花びんを造りました。
 ろくろによる造形の後には、皿や湯飲みに絵付けをしました。これらの作品は、およそ1カ月後に焼成して完成する予定です。
 陶芸体験の後、どんぶり会館内のレストランで昼食し、瑞浪に向かいました。
 この日午後2時からは、日中戦争のきっかけとなった柳条湖事件(1931年9月18日)を記念して、化石公園の一角にある化石山の頂上に建つ「日中不再戦の誓い」の碑前で、地元の中国人殉難者供養会(加藤武士会長)による第34回忌供養の法要がおこなわれました。
 法要には、瑞浪市長、市議会議長、その他地元の人たちと、地元の短大・企業に留学・研修で来日中の若い中国人など約100人が参加され、ここへ3人の短期留学生も参加しました。また、主催者の求めに応じて、留学生を代表して雷雅倩さんがスピーチをしました。雷さんのスピーチは、来日前に「日本語作文コンクール」で書き、好評だった文章(別掲参照)を取り入れ、参加者に感動を与えました。
 スピーチが終わると、多くの参加者や取材に来ていた新聞記者に取り囲まれ、一躍注目の人となりました。
 法要の後、この日に限って公開された化石山の中腹に空いた地下壕に入り、55年前のままになっている暗闇の壕の中で、中国人らに強いられた過酷な労働を想像し、胸がふさがるような思いになりました。
 そのあと、瑞浪市総合文化センターに会場を移し、中国人殉難者瑞浪市供養会主催のなおらいに参加しました。日本語の上手な3人の留学生は、この場でも歓迎され人気者でした。

 これに先立つ7月15日には、南京大学の肖伶俐さん、金光遠さん、上海復旦大学の支慧さんの3人が、教職員委員会の案内でどんぶり会館での陶芸体験、「日中不再戦の誓い」の碑を見学しました。
 「日中不再戦の誓い」の碑では、中国人殉難者供養会の加藤武士さんが、自ら中国戦線に参加した戦中の体験と、そのころ故郷の明世町で中国人捕虜らがどんな待遇でどんな労働を強いられていたか、日復本の敗戦で戦争が終わったとき、戦勝国である中国人は、自制した態度だったことを語ってくれました。
 留学生らは、こういう日本人がいたことにいたく感動したようすでした。
 3人の留学生がこの日の感想を書いてくれましたので次ページに紹介します。
「日中不再戦の誓い」の碑

 戦争末期、瑞浪市明世町(通称化石山)に、米軍による空襲を避けるため、強制連行した中国人らによって地下工場建設を目的に全長8キロメートルにおよぶ地下壕が掘られました。待遇は劣悪、労働は過酷で、4カ月間に39人(330人中)が命を落としました。戦後、地元の人々によって39名の殉難者の氏名を刻んだ「日中不再戦の誓い」の碑が建立されました。
 地元では、毎年9月18日に近い休日に、殉難者供養の法要がおこなわれていて、今年は34回目の法要となりました。

感動 「日中不再戦の誓い」の碑を見学して

 大戦が終わってもう50年という長い時間が過ぎたにもかかわらず、戦争で残した傷は中日両国人民の辛い思い出として時々両国人民を痛めているし、ある時には両国の関係も戦争のことで揺れています。
 日本政府の戦争への認識問題は台湾問題と並べて中国国民の神経を刺激する二つの要素になっています。日本政府の曖昧な態度と政府高官が絶えず靖国神社へ参拝することは、中国国民の怒りを起こしています。そして中国政府の「日本大多数の国民は友好的で平和を愛している、右翼はほんの少しだけだ」という説明はもう役に立たず、中国国内では「反日派」右翼の群れがだんだん大きくなっているところです。特に今年始めごろ大阪で「南京大虐殺−20世紀最大のうそ」というばかな大会が開かれたことはこういう傾向を強く促進しました。
 こうなった情況を無視し放任して両国関係の未来はどうなるでしょうか。経済援助よりも歴史問題にもっと正直な態度、正しい姿を取るのがいいじゃないでしょうか。
 いつも曖昧な政府に対して何十年も中日友好のために、日中両国の平和のために頑張ってきた加藤武士先生に深い敬意を表したいと思います。そして自分のお金を集めて「日中不再戦の誓い」碑を建てた瑞浪市のみなさまにも感謝の意を表したいです。39人の死は30万人の南京大虐殺と比べものにならないが、勿論、同じ尊い命を数で罪悪の大小を計算するのは始めから誤りですが、34年間も殉難者慰霊行事を続けて来た瑞浪市の友好の行動には私だけでなく13億の中国国民全員が感動するはずです。
 もし日本全国が瑞浪市のように友好的なら……。もしみんなが加藤先生のように中日平和のために頑張って行くなら……
(南京大学 金光遠)  

地球を大事に

 ありがとうございました。
 3日間食堂で研修してからすごく疲れました。教職員委員会の皆様、ありがとうございました。おかげさまで、楽しい1日を過ごしました。
 土岐市で「どんぶり会館」で焼き物を作るのは初めてです。南京で「陶巴」(トーパー)というところがあるけど、行ったことはありません。陶芸教室でなかなか苦手なものを作りました。柴田さんたちはずっとそばで私たちを待っていて、写真を撮ってありがとうございました。
 午後、瑞浪市に行って日中不再戦の誓い碑を見学して、地下壕見学とか加藤先生のご講演にすごく感心させられました。日中友好は私たちの希望ばかりでなく、殉難者の希望です。
 後、地球回廊に参見して、すごくおもしろかったです。私たちはこの地球の動物、植物及び人類のためだけではなく、地球のすべてのもののために、この地球を大事に守らなければなりません。       
(南京大学 肖伶俐)  

名古屋に来て最初の観光

 7月15日、名古屋大学教職員委員会の方々のおかげで、私は名古屋に来て最初の観光ができました。初めて名古屋を離れて郊外に行ったから、いろいろな感想もあり、ここで簡単に述べておきたいと思います。

高速道路
 上海に来た日本人の留学生はいつも上海の高速道路が簡単に作られていて、地震があったら一発で終わりと言っていたから、私もずっと日本の丈夫に作られている高速道路を見たかったです。幸いに観光バスが高速道路を利用したから、私は自分の目で確かめることができました。日本は地震が多くて、地震に対する用心として建物を作らなければいけません。だから、橋桁の土台がしっかり作られ、上海の高速道路よりずっと丈夫です。それを見ると、私も上海の高速道路がなんか大丈夫かなと思って、ちょっと不安になってきました。

焼き物
 上海にも「陶巴」という焼き物を作る所がいっぱいあるけど、いつも勉強で忙しかったから、一度も行ったことがありませんでした。初めて焼き物を作って本当に楽しかったです。教えてくれた店の人はあっという間にとてもきれいな作品を作ったから、私は焼き物って簡単そうだなあと思いました。しかし、実際に作ってみたら、両手のバランスとか、力の入れ方とか、あまりにも難しくてなかなかうまくできませんでした。いろいろ手伝ってもらって、やっと2つか3つの作品を作りあげました。あまりきれいではなかったから、たぶん自慢話にならないが、私にとっての宝物だと思います。

日中不再戦の誓い碑見学
 今回の観光で一番主な内容は瑞浪市にある日中不再戦の誓い碑の見学です。私は若いから戦争を経験した事はありません。だから、戦争に対してただ歴史のテキストや映画からの漠然としたイメージしか持っていません。加藤武士先生が碑の前で、自分自身が経験した戦争の事、又この碑の由来などの事を教えてくだ さったおかげで、私も改めてしみじみと戦争の残酷さを感じました。日本にはまだ中国に対して不友好的な人がいると思いますが、加藤先生のような中国または中国国民にこんな友好的なひとがいる限り、中国と日本が二度と戦争が行われないと信じています。それだけでなく、中日両国がますます深く、広く交流することによって中日両国の国民全体はきっと永遠に友でいられると信じています。残念ながら加藤先生の話によると、毎年の9月18日に一番近い日曜日に行われる儀礼に参加する日本の若者はまだ少ないそうです。中日友好のために若者の役割はとても重要だから、もっと多くの日本の若者が中日の歴史や中国の事などを理解してもらいたいと思います。
 以上の他に、まだたくさんおもしろい所へ見学に行ったから、実に楽しかった一日でした。お忙しい所、見学につれて行ってくださった教職員委員会の方々、本当にありがとうございました。
  (上海復旦大学 支 慧)  

21世紀に向けて若者の役割
「日中不再戦の誓い」の碑前にて
雷雅倩(北京第二外国語学院)  
 9月17日、瑞浪市「日中不再戦の誓い」の碑前においておこなわれた中国人殉難者供養会(加藤武士会長)による第34回忌供養の法要における雷さんのスピーチで朗読された作文を紹介します。

 亡くなった祖母にいろいろ報告したいことがあって、私は祖母の命日に墓参りをしました。墓石に溜まったちりをふき取り、優しく微笑んでいる祖母の写真を凝視していると激する心中をどうしても抑えることができませんでした。
 3年前、私が外国語大学に入って日本語を勉強したいということを聞いて、普段私に大変優しい祖母が怒り出しました。
 「何で日本語なんかを選んだのかい?おばあさんのいい子だから、是非やめておくれ!」私はそのときの祖母の激しい態度に驚きました。
 祖母の態度は、何となく理解できます。祖母と同じ世代の人々にとって、あの戦禍に巻き込まれた辛い経験は今でも鮮やかに脳裏に焼き付いているのでしょう。身内を殺されたり、住み慣れた家を焼かれたりした時の思い出は依然として消しさり難いのでしょう。一方当時の私にとっては、かわいいドラえもんや、きれいで優しい酒井法子などの姿がいかにも鮮やかな上、日本へ行って歌舞伎を見たり、富士山へ登ってみたい願望もまた強烈なものです。このような子供っぽい理由に祖母が納得できなかったのも当然ですが、最終的には祖母の意思に背いて日本語学部に入ることになりました。
 月日が経つのは早いもので私が日本語の勉強を初めてもう2年半、祖母が病気で亡くなってから1年半になりました。
 おばあちゃん、聞いていてください。まだ覚えていますか。「何で日本語なんかを選ぶのかい?」と私を問い詰めたことがあったよね。おばあちゃんがあの世へ行く前に、おばあちゃんの質問に答えることができなくて、本当にすみませんでした。私は今日本語学部の3年生。先生のご指導のおかげで、日本に関して多くのことが分かってきました。勉強を重ねるにつれて日本語学習の必要性も明らかになってきました。つまり、私たち若者の役割を果たすためですよ。おばあちゃん!中国と日本は一衣帯水の友好隣国です。中国と日本の友好往来はもう2000年以上の歴史をもっています。
 歴史上、中国は日本の発展に大きな貢献をしてきました。中国の絹織物や、建築といった技術から、儒教といった学問に至るまで、盛んな交流がありました。この交流を絶やさずに将来へと継続させていくことこそが、おばあちゃん、私たち若者の役割なのですよ。
 何で日本語を選んだのかい?それは日本の各分野での経験を学ぶことが、中国にと って大変有益なことであるからです。去年、イトーヨーカドーが北京に支店を開いて、営業を開始した頃、私も日本人の友達と一緒に行ってみたことがあります。店内がきちんと整頓され、商品の種類も豊富なのはいうまでもありませんが、最も印象が深いのはこの店のサービスでした。中国人の店員まで日本式の管理にのっとって働いており、中国の多くの店ではあまり見たことがないほど親切な態度でした。友達の話によると、日本での店員は誰もが、「わが店は客様あってのお店です。」という観念をしっかり持って働いていて、お客様に対する微笑みも忘れないそうです。中国のサービス業も日本のレベルになればいいなあと思いました。日本に比べると、中国はまだまだ十分でない点があると思います。おばあちゃん、そういう不十分なところを改善し、日本との間で経験を交換して、技術交流を深めるのも、私たち若者の役割ではないでしょうか。
 なぜ日本語を選んだのかい。それは、日本の人々がますます好きになったからです。2年生の時に私のクラスの担任をされた日本人の女性の先生は、きれいで優しい方だけでなく、明るく真面目な性格で、クラス一同大きな感銘を受けました。更に、日本語の勉強を始めて以来数名の日本人留学生とつきあって、いい友達になりました。彼らは皆、中国語が上手になるため一生懸命勉強を続けています。そんな彼らからいろいろなことを教わり、大いに参考になりました。私は勤勉で純真で正直な日本人のことがとても好きです。おばあちゃん、このような民間レベルでの交流を深めていくのも、私たち若者の役割ではないでしょうか。
 なぜ日本語を選んだのかい?それは、あの憎らしい歴史を二度と繰り返させないためなのです。今は、比較的平和な時期といえますが、他方では核兵器が絶え間なく開発され、また、軍国主義的な風潮もまだ存在しています。白い平和の鳩の命は常に危険の曝されているのです。したがって平和を維持しようと努力している日本の若者と手を携えて世界平和を守っていくのが、おばあちゃん、私たち中日両国の若者の果たすべき役割でしょう。
 おばあちゃん、今の私の思いが分かりますか。是非分かってください。祖母の墓石を前にして、私は心の中で誓いました。
 「おばあちゃん、私は日本語を選んだことを絶対に後悔しません。私たち若者の役割を常に肝に命じて、微力ながらも中日関係のために精一杯のことをしていく決意です。おばあちゃん、辛い記憶の全てを過去のものとして留め置き、これからの中日両国の交流は、必ず明るい未来を迎えてくれることを信じてください。来年卒業したら、またおばあちゃんに会いに来ます。」

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教職員委員会 日中友好のために
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