ひとりごと −その8−
長崎の鐘
わたしは、久しぶりにテレビ番組を見た。それは、長崎で原爆にあった永井隆の「長崎の鐘」にまつわるドキュメンタリーであった。
永井は原爆で一瞬にして命を失った妻「緑」の亡骸をみて、それが原爆であることを瞬時にして悟った。永井は放射線医療の専門家だったのだ。
永井は、長崎を襲った悲劇が原爆によることを見ぬいた。そして、残る人生をかけて、原爆によって傷つけられた人々の記録を書き綴った。自らも白血病で苦しみながら、克明に原爆症の人々の症状を記録したのである。
しかし、それはGHQによって出版差し止めとなり、世に出る見通しは立たない。
そんなとき、アンジェラの鐘が浦上天主堂の焼け跡から見つかった。それに力を得て、平和の願いを鐘に託して、できたのが、「長崎の鐘」である。
「めされて、妻は、天国へ・・・」
今、わたしは、この一節に、万感の思いが込められていることを知った。
それは、軍医として中国戦線に赴いた事実が、永井を苦しめる。そこには一人の人間としての後悔の念と、償いきれない現実が凝縮されていたのだ。「人生の失敗者」という手紙の一節に、その心情があふれているのである。
長崎の鐘は、永遠に平和の願いを訴え続けるのではない。一人ひとりの、人間の心が鳴らす「平和の鐘」でなくてはならないのである。
(理学部 河合利秀)
枕辺に立つ亡霊
戦後何年たったであろうか。
しかし、あなたの枕辺には、亡霊が立っている。
あなたは、中国大陸を転戦した部隊にいた。そして、南京で、あの日、罪なき人々を惨殺したのである。
隊長の命令で、ある村を包囲した。そこには女や子供、老人の姿しかなかった。しかし、無慈悲な軍隊は、彼らを「生きては帰さなかった」のである。
あなたは、村人を一箇所に集めた。女たちを裸にし、かわるがわる辱めた。泣き叫ぶ子供はその場でたたき殺した。そして、最後に、並んだ人々の首を、軍刀で切り落とした。これは軍隊長の命令である。是非も無い。従わなければ、自分がひどいめに会うのだ。
それから50年余、あなたの枕辺には、軍刀で切り落とした首の亡霊が立っている。あなたは悪いことをしたと思ってはいない。なぜなら、天皇の命令だからである。天皇はあの戦争を過ちだとは言わなかった。だから、あなたの行為も過ちではない。
亡霊たちは、いまだにあなたの枕辺から離れられない。あなたの真の反省があるまでは、決して成仏できないのだ。
あなたはいまや高齢となり、もうすぐ地獄の使者が訪れる。かの亡霊たちは、地獄の閻魔となって、あなたを無限地獄へと連れ去るであろう。
それでもあなたは、反省することなく、死んで行くというのか。
(理学部 河合利秀)
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