ニュースに一喝
−その20−
警察を取り締まれ
警察の不祥事が表沙汰になるのはよほどのことだろう。神奈川県警の一連の不祥事は決して偶発的なものではなく、根の深いことを示している。これが、神奈川県警に限ったものでないことは多くの国民が肌で感じていることで、図らずもこれが表沙汰になったというだけで、ああ、やっぱりというのが偽らざる感想ではあるまいか。愛知県警も御他聞に漏れず。警察庁長官の痛々しいまでの陳弁が、根の深さを表しているように思う。今回明るみに出た不祥事は、警察の組織ぐるみであることが恐ろしい。監察官制度があっても、その監察官までもグルになってやっているのだから。警察に警察の監査をさせても何もならない。外部監査、それも、常時目を光らせておく必要がある。情けないことだが。
こんな大事件に限らず、庶民の声を聴けば、警察の頼りにならぬ事は、一々言うことのできぬくらい多い。庶民の真面目な訴えにはほとんど耳を貸さない。人命に関係でもせぬ限り、相手にもしない。交通関係や、こそ泥などに関しては、出向きもしない。真面目な庶民の訴えに対して有効な助言など無きに等しい。自分でなんとかせねば何とも成らぬ。
この頃、町中では、隣近所に、地域に縁もゆかりもないような連中が店を出し、地域住民とは全く無関係に商売を始める。私の住む地域の実例を云おう。どういう会社か知らぬが、関西系の会社らしい。何の挨拶もないから全く分からぬ。何をやっているかも皆目見当が付かない。それが、沢山の車、それも全部レンタカーを、歩道の広いことをいいことにして、いっぱい止め、時には、他人の家の車庫の前にも止めて平気。会っても挨拶もしない。
それはともかくとして、これ以外に、困ることがある。それは、時を弁えず大声を出すことである。夜の10時半、11時頃のこともザラ。何か、ミーティングでもしているのだろう、それはいいが、一斉に鬨の声を上げる、朝は仕方がない。夜でも、8時か9時ぐらいまでなら我慢もしよう。しかし、寝入りばなにこの声でたたき起こされてはたまらない。病人も寝ている。一週間の内、一日だが、午前3時か4時頃から、大勢でどこかに出かけるのか、路上で大声を上げる。普通の声ですら、深夜には響く。夜と云うことに何の配慮もなく、しゃべりまくる。此にはまいって一度注意を促したことがあるが、ほとんど改善されない。とうとう警察に相談したが、その大声を上げているとき電話してくれ、そうでなければなんともならぬと云う。びっくりする声は何回かあっても、ほとんど瞬間的。電話をしようにもしようがないではないか。親切心というものがかけらもないことを思い知らされた。これで、警察に協力しようとする気持ちがまたもやそがれることになった。
最近、放火やこそ泥に関する事件が多い。が一向に解決しない。庶民の協力が得られないのが、その大きな原因であろう。なぜ得られなくなったのかを警察はよく考えねばならない。協力をわざわざ断って、庶民を敵に回しているようなことが多すぎる。もう一度、警察というものが、何のためにあるのかをよくよく考えて、犯罪捜査などにその実を上げるためには、庶民を敵に回さぬように、庶民を守る姿勢を鮮明に打ち出して貰いたいものだ。権力を持つ警察が、庶民を小馬鹿にしたような態度をとることが、組織全体の体質となり、組織ぐるみの、いわば「犯罪」をおかすことに通じている。警察はあてにならぬと思われては、万事休す。
(T)
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