私の百名山 −その15−
縄文杉の屋久島・最高峰
宮之浦岳(1935m)
附属病院 中條 保
屋久島概要
九州で最も高い山はこの屋久島にあり、宮之浦岳(1935m)という。島は平成5年12月に世界(自然)遺産に登録される。鹿児島空から屋久島まで135kmを飛行機で40分、高速艇で2時間余りで結ぶ。島の周囲約100km。東西28km、南北30kmのほぼ円形の島。温暖多雨だが冬期は雪も降り、山は積雪する。
はじめに
百名山ばかりが山ではない。山国日本には選定には漏れたが周山は数多ある。200名山も地図に登場しているし、岐阜百山とか愛知百山など地方の愛好家によって登られている。さりとて往年の登山家深田久弥が選定しただけあって日本の名山に違いない。そこで時間と金に余裕のできた中高年が押し掛けても当然だ。しかし、体力や気力、技術力は金では買えない。加齢と共に低下するのも一般的だ。そこで日頃の生活習慣が大切になってくる。「腹八分、医者いらず」(暴飲暴食は慎む)「適度な運動」(自分流の運動を日々心がける。とりあえずウオーキングが無難)「ストレスを持ち越さず、よく眠る」(くよくよせず、夜更かしせず、睡眠時間を確保する)ことが必要になってくる。近くの山でトレーニングする努力も怠ってはいけない。そいう私も自分に言い聞かせながら書いている。残る百名山は20座ほど、定年までに登ることができるかどうか、願わくばその後も元気で登ることができたらと思っている。昨年は3座に登ったのみであるが、もちろん一度登った山にも機会があれば二度三度と挑むことは惜しまない。昨年は伊豆の天城山へ二度目のトライを果たし、晩秋の紅葉や快晴の富士山を飽くことなく眺めてきた。

屋久島二日目(本誌222号のつづき)
明け方、目覚めてトイレに行くと雲の切れ間から星が眺められる。午前4時起床。しかし、外は雨だった。がっかりしながらも、味噌汁を作り、昨夜の残り飯を加えたおじやの朝食を重い気持ちで食べ終え、食器を小川で洗う。テントを撤収し、パッキングを急ぐ。上下の雨具を着けて、傘をさして午前6時30分出発する。初めてのコースは、様々な期待や予測、緊張をして入るが、入ってしまうとそれほど不安がることはない。鈴鹿の愛知川に沿って歩いているような景色だ。ただ、荷物が重いだけだ。それでも滑りやすい、こけむした岩場の道を滑らないように足を運び、ゆっくりと峠に向かって登って行く。頭上は鬱蒼とした樹林に囲まれ、「屋久島にいるのだなあ」という実感に満たされる。7時に辻峠に到着する頃には、滝のような本降りになった。荷物を下ろすわけにもゆかず、峠の土手の部分に荷を背負ったままで腰を掛けて休憩する。降りしきる雨は止みそうにない。『月に35日の雨が降るという。』さすが屋久島だ。あきらめに似た納得をして北沢に向かって出発する。
トロッコ道
北沢と合流する辺りから下流を小杉谷と呼び、合流点に山小屋跡がある。峠からの下り道は雨で小川になってしまい軽登山靴の中は水浸しである。少しでも装備を軽くしたいので、皮登山靴は最近は冬しか履かない。7時45分小杉谷小屋跡に到着。営林署の屋久杉伐採小屋の跡で、今は礎石が残っているのみで、杉の苗木が植えられすでに成長している。そこを100mほど下るとすぐにトロッコ道に合流する。北沢本谷は昨夜からの雨で怒濤の流れで、恐ろしいほどの濁流となって唸っている。トロッコ道に沿った案内板の前で休憩し、靴下を搾り靴の水を出す。休憩していると、荒川方面から3人のグループが通り過ぎていった。屋久杉ランド方面からバスで荒川小屋跡まで入って、そこからトロッコ道を歩いて来た人たちだ。皆、日帰りコースのグループで荷物は小さい。10分の休憩の後、出発。ここからは、かっての屋久杉搬出のトロッコ道に沿って線路敷きを歩いて行く。水平道で枕木に板が渡してあるので歩きやすい。時折、左手を流れる北沢の轟音が聞こえてくる。三代杉で荷物を下ろして写真を撮っていると、そこへ30人ほどの団体がやってきてガイドが説明を始めた。
中高年に人気
全員女性の団体だ。一度に賑やかになった。50代から60代だろうか。ガイドが先導し、「休憩は5分」と宣言した。厳しい日程だ。荷物は余り持っていない。巻き込まれてはかなわないと、先に出発する。縄文杉など〈大株歩道〉を日帰り往復するグループなのだ。その大株歩道入口までは、1時間ほど歩いて9時に到着する。
このトロッコ道は、水平道で、線路の間に幅20cmほどの足場板が縦に渡してあるので、大変に歩きやすいが、後日「単調で眠くなってしまった。」と多くの登山者から同じような意見を聞いた。彼らの多くは早朝にヤクスギランド経由で荒川小屋跡にバスで入いり、そこからトロッコ道を3時間程歩くことになる。アップダウンのない単調な道は一見楽なようだが、緊張感のない道で、早朝からの寝不足や旅の疲れも加わり、眠くなるのではないだろうか。10分の休憩時間に後続の例の団体がやってきた。参加者の一人に団体名を聴くと「中央アルパインクラブが全国で募集して、それに応募して来た」という。荷物は、雨具と水筒、弁当ぐらいの軽装だ。ボッカをしているような私にキャラメルを5〜6個くだされた心やさしいお姉さん方の集まりである。
いよいよ大株歩道
ここから先、北沢は直角に右折する大杉谷と真ん中の右俣、左手の左俣の三本の支流に別れる。トロッコ道もここで寸断されて、右手の大杉谷から北沢に流れ込む濁流を覗き込む。左手に大杉谷を見ながら左岸の急な階段状の登山道を登って行くことになる。道はよく整備されているが、大木の根っこが歩行を妨げる。このルートは文字通り屋久杉を代表する巨大杉のある登山道ということから〈大株歩道〉と呼ばれている。なかでも〈翁杉〉〈ウイルソン株〉〈大王杉〉〈夫婦杉〉〈縄文杉〉〈太古杉〉等が有名である。
ウイルソン株は切り株の内部を綺麗な清水が流れ小さな社が祀られている。9時40分に到着して、内部に入って空を見上げると大きな屋久杉の大木とその茂った枝が空間を遮った。訪れる機会があったら、是非ともこのウイルソン株の内部に入ってみることを勧めたい。谷間の上部に緩やかに広がる窪地は屋久杉の宝庫だ。ここで後続の例の団体に追い越され、大阪から来たという2人の女性客を別のガイドが案内している。どのグループも去って最後尾をゆっくりと出発する。
荷物が肩に食い込む
ここからは木製の階段が作られていて登りがきつくなる。背中の荷物が肩に食い込み足の運びも鈍くなる。そのとき、黄色の雨具を着けた一人の登山者が私の後に付いてくるのに気づいた。団体の登山者だとばかり思っていたが単独のようだ。木を根本から見上げるように撮ったり、様々な角度や部分を被写体にしきりとシャッターをきっていて、しばらくは前後して歩く。私といえば急な階段をあえぎながらゆっくりしたペースで登るので、それで丁度ペースが合って、後に付いてくるのである。どんなふうに話しかけたのか、掛けられたのか覚えがないが、「今日は新高塚小屋まで行く」という。私の行き先を尋ねられ「同じコースになりそうですね。」と応えた。雨具を着けた登山者は、若い女性であった。
計画の甘さ
密かに自分の計画書の甘さに気づいていて、本来なら新高塚小屋に到着していなければならない時間だから、計画はとっくに修正しなければならない。時々、遅れたり待ったりしながら付いてくる。大柄で明るい、ハキハキとした感じの良い若い女性である。仁王様のような〈大王杉〉へは11時10分に到着。手前に組んだ木製の見学台に上って対峙すると、風雪や落雷に耐えた杉の痛みや苦しみ、怒りさえ伝わってくるようだ。反対の崖の方には、大阪弁の女性2人連れがシャッターをきりながら、他の大木にも心を動かせ「ねー、すごいよ。こっちの木も」と辺りの老樹木を指さしながら。
大木は先端を折られ頭部付近から何十本もの枝を手のように出している。私は思わず「千手観音のようだ」と声にしていた。二人連れの一人の女性が「写真を撮ろう。私はネズミ年やさかいに」と言ってシャッターをきる。私は干支と観音の関係が判らなかったので、20代の若い娘が良く知っているな。と後日感心したものだ。
スポーツウーマン
屋久杉の立ち姿にそれぞれの思いが豊かに駆けめぐる。大王杉を出ると道は一段と急登となり20kgのザックが膝と腰に食い込む。流れる汗を感じつつ息を整えていると、黄色の雨具の女性がカメラでアップ姿の杉や植物を接写で撮っているので「お仕事ですか」と尋ねると「いいえ、趣味の世界です。」と答え、「関東でメディア関係に就職していて、息抜きの旅」だという。年齢も自分から「26才」だという。夫婦杉では、「どちらが男性ですか」と問いかけるので、「右手のゴツゴツした逞しいほうが夫でしょう。」と応えると「最近は女性でも逞しい人がいますよ。」と返してきた。「確かにそうですね。」私は相づちを打った。例の団体のガイドが「右手の杉は2500年、左手の杉は1500年、中を繋いでいる枝は200年」と解説してくれた。「どうして、上手に繋がったのでしょうね。」彼女は再び尋ねた。「自然の造形は不思議ですね。きっと仲が良かったのでしょう。」と応えた。「200年も続いているなんて」「いや、もっと続くよ、100年や200年は続くでしょう」そんなやりとりをしながら、シャッターを盛んにきっている彼女。
縄文杉
いよいよこの歩道のハイライト縄文杉を目指して11時20分出発。急傾斜の連続する登山道で、「テントは持たなければ良かったかな」とか、仕事のこと、帰ってからの様々な課題の多いこと等、次から次へと浮かんできて、スケジュールや段取りなど考えていると、しばらくは荷物の重さを忘れていた。一時間近く歩いて、大勢の人のざわめきで、見上げるとこれまでのどの木製の見物台よりも特別に大きな舞台が現れて、先行する団体が登って、しきりとシャッターをきっている。後から追いついてきた男性が彼女を呼び止め、なにやら親しそうに話し合っているので、私は正面に登って行く。
12時丁度に舞台のような立派な歩道橋の欄干に到着する。杉の根本を踏まないように、いたずらをしないように「保護区」が設けられている。縄文杉へは50mほどの間隔があるだろうか。緩斜面の中央に今日の主人公〈縄文杉〉が冷厳な表情で立っている。一瞬、沈黙し、脱帽したいような気持ちに襲われる。鹿児島大学の助教授は7200年の樹齢だという解説板が立っている。例の団体のガイド氏は「2500年とか3000年とか5000年とか諸説ありましてね」と解説してくれる。「今、一息すれば場所があきますからね」とシャッターをきることに余念のない一団を指して許しを請うような態度で、彼らの行動を嘲笑してみせた。ガイド氏の言うように、カメラの騒音はほどなく終わり、周辺で昼食弁当を広げた。「何分後に出発します!。」ガイド氏は合図した。
高塚小屋
親切なガイド氏にお礼を述べて、私たちは混雑を避けて、縄文杉から10分ほどの高塚小屋まで行き、そこで昼食にする。黄色い雨具の女性は、新高塚小屋まで行くというが、地図はなく、山も初心者だが縦走をするという。それではと同行することになり、高塚小屋で昼食を共にする。昼食と言っても、しいたけと海草が入ったラーメンだが、疲れた体にはしみるほど美味しい。小屋で食事をしているともう一組の男女ペアが入ってきて、一緒に食事をする。ウイルソン株から上部は水場はほとんどないつもりで準備が必要だ。一時間の食後、雨はほとんど止んだが風が出てきた。数人が泊まれる程度の避難小屋を後にして新高塚小屋に向かう。標高1500m近くで稜線に出る辺の杉は背丈も低く幹も枝もどっしりとしている。あたかも仏像群のようだ。また、木肌が赤く光沢のあるヒメシャラの大木も多く見かけるようになり、箱根の山でしか見なかった光景がさらに拡大した規模で展開していることに驚かされた。シャクナゲやカシの木が杉の林に絡まって、様々な造形を作り出していて見ていて飽きることがない。
報道関係の仕事
横浜で報道関係の仕事に携わるという彼女は、その造形に大変興味を示し、二本の木が相撲を取ったり、またはもつれ合ったり、根上の老木であったり、二本の木の枝が途中で連結してしまっているもの。そんな様々な写真を克明に撮っている。私はゆっくり歩くのみで、時折、傑作な造形美を笑いながら批評し合った。15時20分に新高塚小屋に到着したが小屋は50人ほどの登山客でいっぱいだった。濡れた雨具や荷物が通路にあふれ、ようやく入って直ぐ左手のスペースに落ち着くことが出来た。初日に飛行機で屋久島に到着したとき同じバス停で反対方向に乗った中年の夫婦が小屋に入ってきたので、すぐ横の場所を空ける。安房方面から屋久杉ランドに入り、淀川小屋を経由して来たという。私とは逆コースで歩いているようだ。4人で会話をしながら夕食の準備に入る。秋はすぐに暗くなる。小屋の南北に二カ所、ほんのチョロチョロと出る程度の水場しかないので、渇水期は水はないものと考えた方がよい。順番を待ちながらようやく米を研いで、外で御飯を炊く。米は持参していないがカレーを買ってきたという彼女の差し入れで、夕食はカレーにする。食べたグループから就寝して行くので、御飯を作っているときが最も賑やかである。山の夜は早い。夜半、目覚めて外に出ると星空で満天であった。
(次号に続く)
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