かけはし7月号の主張
日本はいったい何を学んできたのだろう
よく失敗から多くの教訓を学ぶと言いますが、最近の日本の動きは過去の悲惨な戦争からの教訓を否定し、過去の「強国による弱肉強食の夢、再び・・」に戻ろうとしているような感じを受けます。
5月24日に可決された「ガイドライン」法では定義、発令手続き、責任所在等々、内容が曖昧なまま、日本が直接・間接にも侵略されない事態でアメリカの戦争に自衛隊だけではなく、国あげて協力することになります。
これは何を意味するのでしょうか?この法案を推進している自由党の小沢氏は「今度のガイドラインはごく大ざっぱにいうと、まさに戦争に参加する話なんです(正論6月号)」と法案目的を述べています。戦争協力が国際貢献なのでしょうか?
人間と戦争は切り離せないサガのようにいわれますが、今、人類は戦争をなくそうと努力している事実を直視するべきです。第一次世界大戦の教訓を生かせきれずに起こしてしまった第二次世界大戦は、人類が戦争からの教訓を生かし切れなければ、人類には悲劇しかないことを示しました。
戦後の反省の一つは第一次世界大戦の教訓を行動に生かし切れなかった原因をつきつめ、教訓を行動に転化しなければ、過ちを繰り返すことになることではないでしょうか。
これは「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界諸国民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争になった。(ユネスコ憲章)」のであり、「無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義を広めることによって可能にされた戦争」であり、この根本原因の除去する努力が、第二次世界大戦後の植民地主義の衰退、民主主義の拡大や人種差別への批判等として、問題点も含みながらも前進して来ています。
私達の国、日本もそのような平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会の一員たらんことを決意したはずですが、その努力は小さく努力不足と言われても仕方がないと思います。
このような日本の努力不足の下で近年言われる国際社会貢献云々はこの初心を踏まえた貢献であるべきです。けして紛争における強国側に参列する事ではありません。日本は国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄しています。 日本が侵略されていないのに参戦する。これを自衛といえるでしょうか?
主権は国民にあります。民主主義は一人一人の主権者たる責任の上のみに成り立ちます。私達に目の前の動きを知らなかったでは許されないと思います。
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