ニュースに一喝
−その12−
金 の 使 い 道
今の世の中、間違っているとは誰もが思うことらしい。何もかも金が第一。金は大事だろうが、決して第一ではない。こんなことは多分誰だって知っている。金が第一といっている人だって突き詰めていけば、金は目的を遂行する手段で最終目的でないことぐらいは知っている。それでも、見回せば、あたり一面、金のことばかり。インターネットで毒を送って金を取ったとか、伝言電話で呼び出して薬を飲ませて金を奪ったとか、銀行の現金支払機そのものを盗み出して金を取ったとか、取り損なったとか、俳優の離婚話に関わる手切れ金がいくらだとか、オリンピックを誘致するのにオリンピック委員会の委員を買収したとか、そんなことは大昔からあったことだとか、契約金がいくらだとか、金のことに話は事欠かない。
不景気不景気でもっと金を使え使えと政府はやっき。便乗して地域振興券とか、国民1人あたり3万円やると言っていたのが、いつの間にか、いろいろ制限を設け、1人2万円、それも15歳以下とか、65歳以上で一定の条件を備えている人ということになったが、総額で7,000億円というのは巨額である。此の効果は最初から疑われているが、私もばかげていると思う。使い道は他にいくらでもある。こういうのを死に金という、金をどぶに捨てるという。よくよくばかげたことを考えるものだと思う。いや、ろくなことは考えないものだと思う。やりたいなら自分の金でやれ。税金をそんなことに使うな。票のことばかり考えているからこんなばかばかしいことがいえるのだ。
金の使い道は、物を消費するばかりではない。消費するにしても、もう国内では限度がある。もっともっと地価が下がり(そうすればまたまた不良債権の山が出来るだろう)、サラリーマンが2、3年の年収で土地付きの家が建てられるようになれば、物ももっと買うだろうが、今やどの家も物でいっぱい、新しい物を買うには、ある物を捨ててゴミにしなければならない。こんなことがいいはずがない。こんなことをするのは、よほどの人だ。普通の常識人はそんなことはしない。それがわからないのだろうか。
しかし、目を世界に向ければ違う。いまでも、食うことにも事欠く人々、住むところもない人々、着る物のない人々、まともに教育の受けられぬ人々、病気になっても医療さえ受けられぬ人々、道路も、交通機関も、ことごとく不十分な所がある。このうちの一部は、日本でも十分どころではないが、日本で現に有り余っている物を政府が買い上げ、それを必要としているところへ無償で与えれはよい。そうしたところで、きちんとした手続きを経た上でなら、決して税金の無駄遣いということはいうまい。日本の援助の中には、目に見えない形の物に対して(これも必要なのだが)、援助をされた方が全く知らないことがあるという。それはどちらでもいいことだが、知られていなければしないのと同じということになるらしいから、わかる形にすることは必要なのであろう。これは内需拡大と同じような効果があるはずだ。しかも、無駄にならずに。
もう一つは、もっともっと国民の文化的水準を高めるようにお金を使うことである。決して文化会館を造れというのではない。物はしばらくはいい。中味を作らなければならない。その点さすがに欧米先進国というのはその裾野と奥行きが違う。大学審議会の報告を読んでいたら、資源のない日本が、そういう国々に伍していき、さらにリードしていくためにはその予算をそういった国々のそれに近づける努力をしていかねばならぬといったことしか書いてない。この記述を見たとき、なんたる腑抜けと思った。近づけるどころか、即刻それ以上にしなければならぬ。金の使い道はいくらでもある。ただ、そうしても、政治屋さんの票に直ぐにはつながらないことは確かである。
(T)
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