ひとりごと −その13−

スーパーカミオカンデ事故から見えてくるもの


  スーパーカミオカンデの検出素子である光電子倍増管が半分以上壊れたニュースはショッキングであった。スーパーカミオカンデの光電子倍増管は培風館の物理学辞典にも掲載されている通り、直径20インチ(約50cm)もあるが、生産中止になっているので、スーパーカミオカンデを最良の状態で復活させるには、数年はかかる。
 その一番大きな理由は、スーパーカミオカンデ用光電子倍増管のガラス筐体が「ふきガラス」という職人の手作りであり、このような大きなガラス玉を均一な厚さに吹く技能をもった職人がいない(いても極めて少数)という問題である。このガラス細工は数人の吹きガラス職人によってなされていた。筒の先に付けた溶融ガラスを文字どおり「吹いて」電球のガラス玉を作る光景は、どこかで見たことのある方もいると思う。スーパーカミオカンデの直径20インチの電球は、巨大水槽の水圧に耐えるため、僅かな厚さの狂いも許されない。まさに至難の技であり、名人でも成功率の悪い難しい仕事だったようだ。そんな彼らもすでに引退し、次世代に移っている。今の職人さんが技能を磨き、名人芸の域に達する時間も含めると、そう簡単にはできないだろうというのが、私の見方である。
 スーパーカミオカンデを例に取ったのは、実は、多くの最先端科学技術が、この光電子倍増管のように、手先の器用な職人さんたちの名人芸に頼っていることを知らせたかったからである。 日本の誇るH2Aロケットはそうしたものの集大成である。特に、第一エンジン部分は、気の遠くなるような修練を重ねた、職人達の名人芸的手作業によって作り出されたものである。高度な数学的解析による完璧な設計であったとしても、肝心なのはそれを実現する職人の技である。
 日本人は、こうした職人技を、長い間、軽んじてきた。その証拠は、こうした「名人芸的職人技を継ぐものがいない」という事実によって明らかである。もし、こうした名人芸に相応の社会的地位と尊敬があったなら、後継者になりたいという若者がその工房を賑やかなものにしているであろう。しかし、現実はどうかというと、こうした名人芸を持つ当人でさえ、我が子にその仕事を継いでほしくない(苦労しても食っていけない)という、屈折したものである。食えないので職人も雇えない、一代限りの名人芸である。そして、それはその人の現役引退によって失われるのである。
 NHKのプロジェクトXには、時折名人芸的職人技が紹介される。そうしたものを観ると、「ものづくり日本の神髄は、名人芸にあり」はそのまま「最先端科学技術の神髄は名人芸にあり」と読み替えても十分納得できるであろう。ある工作機械メーカーの現場では、すべての名人芸を数値に置き換えていこうと試みた。しかし、どんなに数値に置き換えても効率は上がらない。それは、加工の条件が変わると途端に数値制御のデータを変えなければならず、結局加工技術の名人がいなければ良いデータが得られないからである。
 このように、バブル期を中心に、盛んに名人芸の数値化が試みられ、大量生産では成功した。そしてそれは加工データだけが海外生産拠点に持ち込まれ、産業空洞化に拍車をかけた。日本のお家芸であった金型などの多品種少量生産や、技術開発の現場では、技能の数値化は簡単に進んだ。このとき大勢の名人芸をもつ職人さんたちがリストラによって本来の職場から引き離された。中小企業の職人達は工場閉鎖によって、個人零細の親方職人は、跡継ぎがないまま、その日の生活費を稼ぐにも苦労するありさまであった。
 こうして失われた名人芸は、バブル崩壊以後加速度的に増大し、今最先端科学技術を支えている職員の技が、回復不可能な状況にまで疲弊している。このことに注意をはらう政治家や財界人達はほとんどいない。しかし、本当は、名人芸的職人技こそ必要なのだということが、自動車工業などものづくりの最先端企業に最近やっと認識されてきたのである。

 最先端科学技術の開発研究を掲げる我が名古屋大学においては、このような名人芸的職人技をどのように考えているのであろうか。
(理学部 河合利秀)  


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