私の百名山 −その23−
南アルプス・白峰三山
北岳(3192m)・中白根(3052m)・間ノ岳(3189m)
・農鳥岳(3025m)縦走
中條 保(医学部)
南アルプス南部へ
南アルプスは、赤石山脈とも呼称するようにその盟主赤石岳は、山脈中、最も奥まった中心部にあり、山脈中最高峰の最北に位置する北岳(本誌7月号で紹介)よりは、高度においてこそ低いが、その奥まった山奥の中心にどっかりと腰を据えた山容はまさに盟主にふさわしい。そのアプローチの深いこと、安定した大きな主稜線、そこから派生する幾つもの支稜線。その間には大小の多くの沢を従え、観光や登山という対象から北アルプスに後れをとってはいるが、豊富な未知の大自然は勝るとも劣らない。それだけに交通不便でどこから挑むにも相当な決意がいる。山小屋設備は、北に比べ十分ではなく開設期間も短く、食料その他も比較は出来ない。出来ればテント持参が好ましい。したがって多くの山歩きを積み重ね日頃のトレーニングを怠ることのない者のみが入ることを許される山である。軽々と入れない本州一の奥深い山であり、電源開発とパルプ会社が作業用に開削した林道が頼みの綱なので一般車は入ることが出来ない。かろうじて途中の山小屋を利用する者が小屋のリムジンバスを利用して入山することを許される。今回の縦走中、悪沢、赤石、聖の三岳が百名山に数えられている。
公共交通は東海道線から
「金谷」駅で大井川鉄道に乗り換え、寸又峡で有名な「千頭」までゆき、さらに「井川」に入る。3時間あまりの所要時間と3000円あまりの費用をかける。終点までは一日数本の鉄道しかないので事前に十分な調査をして出かける。終点は山峡の峡谷美で有名であるが、今回の登山対象の南アルプスはここからが入り口で、周囲を2000m級の山々に囲まれた大井川の渓谷を縫って車で1時間ほど源流に向けて遡行しなければならない。途中「井川湖」と「畑薙湖」の巨大なダムが満々と「南アルプスの水」をたたえている。乗用車で入れる畑薙第二堰堤の裾野には工事で湧出した豊かな温泉があって安く入れる。静岡市営の「白樺荘」で、簡単な食事と休憩ができ登山の往来にはありがたい。遠くからも温泉に入りに来るという。そのすぐ上流に畑薙第一堰堤があり、一般自動車はここから先は乗り入れが出来ない。
12年前の夏入山
1988年7月29日(金)梅雨明け前の空模様が気になるが、梅雨明けを期待して計画を立て、この日の午後1時に大学の駐車場を出発する。買い出しやパッキングは休暇を取って協力をしてくれたT君のお陰で無事完了。昼食をとって総勢8名が2台の乗用車に分乗して一路東名インターから静岡へ。途中、浜名湖で休憩予定のところT車が誤って通過してしまい16時に静岡インターで合流する。市内の西北を抜け安倍川に出る。その広い流れに沿ってしばらく北上する。この路は梅ヶ島温泉で行き止まりとなる。途中の油島で左折して安倍川を渡る。その流れが少ない広い河原の中で全員で車座になって腰を下ろしておやつを広げる。これも大勢で行く山旅の楽しみの一つだ。行程の打ち合わせや交流が広がる。途中、落合、長妻田等の小さな集落を幾つか越え、やがて身延山地の南に伸びる1000m級の山地に登って行く。登り着いた大日峠は富士の眺望や南アルプスの眺めが素晴らしいところで、ドライブで訪れる観光ポイントだ。中高年のドライバー2組が眺めを楽しんでいた。その峠を下ると安倍川水系から大井川水系に変わり、井川湖に下る。大井川を堰き止めた大きな湖だ。その湖畔の「井川」の集落で17時30分から一時間の夕食を取る。「まんぷく食堂」というおもしろい名前の食堂は、大学生協の食堂のようなメニューだ。井川は戸数400戸、人口1400人の集落だという。
畑薙関門を越える
一般車両はこの畑薙第一堰堤から先へは入れない。しかし、ここを入らないと4時間の林道を歩かなければならない。テント、食料を持参してのアルバイトはつらい。ちょうど井川で夕食を取っている間に夕暮れになってしまった。夜陰に乗じて突破を図ったのではないが、心の隅で入りやすいと考えたのかどうか、今となっては記憶が定かでない。椹島まで出来るだけ早く入らないことには、今回のこの計画は成り立たない。とにかくにも堰堤脇の関所のように設けられた検問所は時間的に遅かったせいか何事もなく通過する事が出来た。こんな夜に山奥に入る人はいないのだろう。工事の支障や危険道路は承知のうえなので、安全運転で慎重にゆっくりと走る。
椹島(さわらじま)
林道はもちろん未舗装であるし、穴凹はあるし、曲がりくねってはいるし、断崖絶壁はある。それらは暗闇が恐怖を和らげているに過ぎない。途中で、明るく投光器を照射して作業をする現場にであった。暗闇の山奥で投光器で作業をする有様は、何か秘密基地を作っているようなそんな気持ちにさせられた。大井川が赤石東尾根に遮られU字形に大きく蛇行するところへ、赤石沢と倉沢、所ノ沢が十文字に出会う場所に土砂が堆積して出来た川中島が椹島だ。標高は1300mほどだが周囲は3000m級の山岳地帯の中にあり北アルプスの横尾のようだ。ロッジが一軒と電力会社の資材置き場があり、職員用と思われるテニスコートが一面有るではないか。この山奥にしてコートがあることに大いに驚いたものである。19時30分ヘッドランプの明かりで静かにテントを設営する。
30日(土)梅雨明け、されど水無しの厳しい山に
夜半に目醒めると星空が美しい。「明日はきっと晴れるぞ」そう自分にいい聞かせ再び横たわる。午前4時30分起床するとまだ薄明かりの空には星が残っている。雲一つない好天の下、急いでテントを撤収し午前6時に出発する。林道に出て歩くとほどなくして蛇行する川に橋が架かっているので、林道を外れて左の奥西河川に沿って山道に入る。谷川の樹林の枝越しに千枚、東岳の頂上部が明るく輝いて望める。そんな林の中で最初の休憩(45分歩いて15分)を取る。7時45分二度目の休憩。おやつのパンとお茶がおいしい。あまりの好天に我が気象台は「梅雨明け宣言」をした。以後、最終日前日まで絶好の日和が続く。途中沢の入り口に水場があったが荷物が少しでも重くなると「清水平」の水場まで行くことにした。8時45分に到着するも、そこには水がない。地図上の表示もあまり当てにはならない。かくして水なしの厳しい山行となる。9時40分、4度めの休憩。少しピッチが落ちてきた。水分の不足が精神的に大きなダメージを与えているのだ。それでも深い樹林は真夏の太陽を遮ってくれるのでかなり救われる。
蕨(わらび)段から駒鳥池へ
標高2073mの蕨段に10時40分到着。朝食と少し早いが昼食を兼ねた食事を取る。水は貴重なので重いトマトとキウリのサラダが水分補給に役立ち、涼しさを演出してくれる。苦しい山登りに生野菜のサラダは贅沢なようだが強い見方だ。1時間の休憩の後出発。あと1000mほど登らなければならない。距離は近づくが等高線は混んでくる。それだけ傾斜がきつくなり、登るスピードが落ちてくる。12時30分駒鳥池に到着。駒鳥が羽を休めるのだろうか。美しい名前の池には風倒木が多く、陸地化が進んでいる。標高2200mの高地の樹林の池は小鳥や動物にとって貴重な存在に違いない。
千枚小屋テント場へ
水無しのためかかなり疲労が見えてくる。Fさんが遅れだし13時10分再び休憩する。20分休んで30分歩くと千枚小屋下15分ほどの所に豊富な湧水が樋で引いてあり、皆腹一杯に飲み干した。私は1Lほど飲んだと思う。千枚小屋は山頂下300mほどのダケカンバなどの樹林帯の中にあり、すぐ脇のテント場は明るく開けた樹林の中にある。風雪に耐えた太いトウヒやシラビソ、白樺など少し背が低く、枝振りの良い木は庭園樹のようだ。15時に到着したので20時までの就寝の間にゆっくりと夕食を取り、翌日の朝食のおにぎりも準備して就寝する。
31日(日)テント場から千枚(2879m)岳へ
千枚のテント場は快適だった。前夜は8時過ぎには就寝するので、いつも夜半12時頃に一度目が覚める。あまりの月明かりで夜明けと間違って目覚めると樹林の間から満天の星空である。太く短いシラビソやシラカバの幹から手のように伸びる枝が月明かりと、星明かりであたかもおとぎの世界の人形が踊っているようだ。しばしテントの外に出て、最初は怖かったその踊りを眺め、富士のシルエットや星空に感嘆していた。3時に起床し、テント撤収とパッキングを急いで4時に出発する。夜露に濡れながら、千枚小屋の裏の赤い肌の曲がりくねったダケカンバの間をジグザグに登って行く。ダケカンバがハイマツに変わる頃、富士のシルエットが明瞭になり、その肩からご来光があがってくる。40分から5分間の休憩を取り、5時20分に千枚岳に到着する。窪地で朝食の準備をし、暖かいみそ汁を作って体を温める。目覚めてすぐの朝食よりも2〜3ピッチほど歩いてからの方がお腹も空いて食事がおいしい。
悪沢(東)岳(3143m)
朝食から短い2ピッチで荒川岳の最高峰に到着する。北に白根、農鳥、塩見、仙丈、甲斐駒の南アルプス北部の山々が連なり、南にはこれから行く荒川の峰々に赤石、兎、聖が重なる。西に目を転じると中央アルプスの峰々とその先に乗鞍、穂高、さらに後立山の山並みが遠望できる。もちろん東には抜きんでた富士のお山が対峙している。あまりに見事な眺望に時の経つのを忘れる。
中岳(3083m)、前岳(3080m)から荒川小屋へ
悪沢から2ピッチで中岳に到着する。山頂に小さな避難小屋があり、その小屋の脇に黒百合が群生していた。小さな草丈に黒く輝く花びらにしばし見とれる。白山や白馬三山辺りにしか見られなくなってきたので群生して咲く姿に驚いた。中岳から1ピッチで前岳に着く。ここから西北へ塩見岳への縦走路が続く。荒川小屋へは長くて大きい主稜線に並行して東側の山腹をゆっくりと大聖寺平らへと下って行くと鞍部にたどり着く。そこは本谷の源流に当たる所で、小屋の横には豊富な流れがあってこの高度での水場はたいへんにありがたい。早速ラーメンの昼食にする。もちろん野菜やハムなど具物はたっぷり入れ、時には餅など入れてスタミナを付ける。水があると安心して長時間(1時間10分)の滞在となってしまう。
大聖寺平から赤石へ
荒川の小屋から大聖寺平へは緩く長い登り道が50分も続く。そこは信州「小渋湯」へ通じる三叉路なのだ。そこから赤石へは明るく開けた大きな山腹を一直線に登って行く。遮る物のない砂礫の道をひたすら汗を流しながら黙々と登るのみである。途中「小赤石」で小休止して15時30分に待望の赤石山脈の主峰赤石岳に到着する。だが辺りはすっかり霧に包まれ眺望はない。寒さと感激だけを胸に150mほど緩く下った避難小屋横にテントを張る。付近には単独行の男女の2張りと避難小屋利用の一家族、あとは我らの2張りのみが露営する。
1日(月)赤石岳から百間洞へ
夜半の風に目覚めると、すぐ側に小さな雪渓が残っていた。3000mの山頂は風も強く、寒い。行程が全体に遅れているのでやむを得ない措置で、本当は2時間ほど下ったキャンプ場まで行きたかったのだが。3時に起床し、4時出発。赤岳の南面、大きな岩場の岩を伝って西南に下る。2ピッチかけて5時50分、前夜の宿泊に予定していた百間洞キャンプ地に到着した。豊富な流れに面したテント場だ。そこでみそ汁を沸かして一時間の朝食を取る。そこから小屋まで15分の下りだが、中盛丸山への鞍部までは一時間の登り返しがきつい。
兎の小ピーク群を幾つも越えて聖平へ
鞍部まで来ると従走路は高度を落として、樹木が混じってくる。小兎、兎などの間にはいくつかのピークがあり、兎岳(2799m)の下降では、聖への従走路を見失い山頂東面を垂直下降する。後で気が付いたが少し南に下ってから東に回るようだ。とにかく踏み後が少ないので樹林帯は特に慎重な行動が必要だ。聖への鞍部で昼食にする。エネルギーを使い疲れたときには休憩や食事が有効だ。焦っては危険なのである。食後、いよいよ最後の聖岳(3011m)に挑む。さすが3000m級、長く連続する登りがきつい。2ピッチを要する大きな山容の山頂部は霧の中である。14時45分に到着するも5分で早々に山頂を後にして、浮き石でゴロゴロの下り道を急ぐ。樹林帯に入る手前で聖平を見下ろして小休止する。下りの途中に薊(あざみ)畑という地名があり、一面の背丈ほどの薊が栽培でもしているように群生していて見事である。薊畑を過ぎると広い笹原が現れ、やがて草原に変わると聖平に到着だ。16時50分霧に包まれた小屋の脇でテントを張る。テントサイトには豊かな水がとうとうと流れ、シラビソや栂の樹林に囲まれた広いキャンプ場がある。疲れ切って20時就寝。もちろん、夕食や翌日の食事の準備は怠らないことは言うまでもない。
2日(火)は朝から雨の中、下山
夜半から雨になった。濡れたテントの撤収は辛いけれど、山稜での雨よりはましだ。上下の雨具を付けて森の中を5時間下らなければならない。土場跡、出会所小屋跡など人跡の希な中を激しい雨をもろともせず、途中沢筋で荷物を下ろした以外は、ほとんど立ったままの休憩である。深い樹林の連続する長い下り道を時には雨滴を口に入れながら、聖沢入口へは昼頃到着したのだろうか、ここからは記録がない。林道に出てからは椹島まで1時間戻らなければならない。そのころには雨があがっていた。重い荷物を車に載せて、無事下山を喜ぶ。早速、畑薙湖下の赤石温泉に車を付ける。温泉に浸り本当の下山をビールで確認する。休憩を取ってからゆっくりと名古屋に帰る。
前頁
次頁
教職員委員会 私の百名山
kyoshoku-c@coop.nagoya-u.ac.jp