かけはし7月号の主張
この夏、平和・主権在民・民主主義について考えてみませんか
暑い夏がやってきました。近年、夏イコール「平和」のイメージの固定化が進んでいるようです。
確かに夏は8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下、15日の無条件降伏受諾と言う日本人にとって忘れてはならない出来事のあった月です。しかし、反面、その他の歴史的事実は多くの人々の記憶の中から無くなってきているようです。
私達が今、当然としている主権在民・民主主義での様々な恵沢は戦後の新憲法下で、まだ54年しか経っていない新しいものです。ではその前の日本の状況はどうだったのでしょうか?
7月にサミットが開催される沖縄は第2次世界大戦において国内で唯一地上戦となった県です。昭和20年4月1日の沖縄本島への米軍上陸から6月23日の組織的戦闘の崩壊までの戦渦と沖縄での現地降伏調印の8月30日までの間に県民の3分の1が死亡したと言われています。
この「沖縄戦」では非戦闘員であった県民は下は13歳からの根こそぎ動員で戦闘員か非戦闘員か曖昧なまま、戦闘にかり出されるとともに、日本軍からは沖縄方言を使用する県民はスパイとして処置、保護の否定等、自国軍からの過酷な犠牲を強制されました。
当時の日本軍は肉弾攻撃と称される、爆薬と共に戦車に体当たりする攻撃や万歳突撃、特攻機や人間魚雷等の攻撃をしました。この非人間的で軍事的にも効率が悪く、人的、物的にも自軍の戦力を不必要に低下させる戦術採用は、戦況が悪化した事による自暴自棄的な戦術ではなく、軍部にとって有効な戦術として採用された事を忘れてはならないと思います。
また、当時の軍部は供給・防御的戦術・国際法の軽視や非戦闘員の保護意識が欠如した、攻撃優先思想の戦術を採用していました。これに当時の日本特有の精神主義が加わり、特異な軍事行動規範になりました。
戦争責任は軍部の暴走の結果と責任を安易に転嫁しがちですが、軍部がそのようになっていた背景には当時の日本の政治と社会制度があることを忘れてはならないと思います。
現在では当然である主権在民どころか、言論の自由、結社の自由、信教の自由、学問の自由等は確立しておらず、政府の意に副わない学問や労働者の待遇改善・賃上げ要求、協同組合の生活改善等は犯罪、非国民扱いされる時代でした。同時に一方的自己犠牲と忠誠が美化され、その枠に適合できない社会的弱者や異なる意見を持つ人を社会的に迫害する事は特別な事ではありませんでした。
第2次世界大戦後、日本は主権在民・民主主義の憲法を制定し、世界が戦争の惨禍からの教訓を活かし、戦争を引き起こす背景にある貧困、無知、偏狭、社会的不正義の根絶の取り組みに参加し、名誉ある地位を得られるように努力することを誓いました。
主権在民は国民が自分で考え、行動し、異なる意見を尊重する事を前提にしています。それ故に私達一人ひとりの自立した行動が民主主義保障の担保になります。国民の不断の努力する責任(憲法12条)があります。決して他力本願(仏教で言う他力本願の意味とは違います)では民主主義と平和は維持できません。
よりよい生活の実現も平和でなければ実現はできません。みんなで助け合い、よりよい生活を追求する生協活動にとって、平和を考えることは大切な事であると考えています。(松岡)
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