私の百名山 −その18−



足尾山塊の主峰・皇海山(2144m)
附属病院 中條 保


はじめに
 学生時代から、国鉄周遊券を組んではユースホステルを泊まり歩いた経験は、今はもっぱら山旅に活用している。当時は100kmを越えて遠くへ行けば行くほど安い運賃がさらに半額になったよき時代である。今は青春18切符を使ったり、夜行、鈍行、ローカル線に乗ってはるばると登山口に駆けつける。タクシーも使わないでてくてくと歩く計画を練る。まだ歩ける足があるからこだわりたい。テント背負っての舗装道路の歩行はつらい。でも、未知の世界に出会える旅の魅力は昔と変わらない。


皇海山(すかいさん)
 初めての人なら読めないと思うし、どこにあるかも解らないと思う。奥日光の中禅寺湖の西、尾瀬の南西、赤城山の東、武尊の東南に位置する。両毛国境(栃木と群馬)に聳えるこの山を深田久弥はなぜ100山に選択したのだろうか。奥日光の深い山に囲まれ、静寂の中に峻立する姿は選ばれるに値する山だと今回訪れて納得できた。昨年の晩秋に訪れたとき、山はすっかり落葉して明るく、そのうえ3日ほど前に降った雪がまぶしい稜線に大きな烏帽子のような山頂が両毛山中に天高く聳えていた。交通機関も不便で宿泊施設の詳細については事前に承知するのはなかなか困難であり、用心深くテント持参の重装備になった。

交通機関は
 上野から上越線(東北)で高崎に向かい、両毛線で桐生に出る。そこからは深まり行く紅葉が美しい渡良瀬渓谷沿いに「わたらせ渓谷鉄道」に揺られて行く。沿線の人家や並行する道路、紅葉が美しい山の形や渓谷の流れ、岩肌の変化に飽くことなく眺めていると車内に饅頭売りの土地のおじさんが乗り込んできた。暖かくおいしそうなので食料も乏しかったので一包み買うことにした。1時間15分で2両編成のかわいい電車は「原向」駅に到着する。降りるのは私一人のみである。終点まではあと3駅ある。旧足尾銅山といえば年輩の方には解ってもらえるだろうか。当時の物資搬出列車は、今は過疎化の波にもまれ閑散として往事を偲ぶよすがもない。

銀山平へ(駅から5.3km)
 午前10時10分、無人駅に下車し、店のない30戸ほどの住宅街を抜け、渡良瀬川を渡ると国道122号線に交叉する。横断歩道を渡り、左折して行くも道程が判らない。道路工事の人に尋ねると反対だという。引き返し10分ほどで庚申川に橋を架ける国道の拡幅工事中の橋を渡って左折して、庚申川の左岸を渓谷沿いに行く。まもなく、右手尾根からの崩落防止の擁壁工事中だ。静かな山間の道を銀山平までは3戸の住宅があるのみだ。11時丁度に発電所堰堤脇に設けられた小さな東屋で休憩する。日射しは明るく暖かい。柿、餅、お茶でエネルギーを補給する。

銀山平は
 小さな発電用ダムを過ぎてまもなく、左右に石垣が城跡のように現れてくる。かつての足尾銅山の名残である。幾万人もの掘削関係者が住んだという町並みも今は冬の樹木が葉を落として静かに立っているのみである。あたかも城塞のようでもある。時折、乗用車が通過して行くが、獣を追ってくれる助っ人のような寂しい道のりである。鹿や猿が多いが熊はいないようだが、判らない。12時丁度に銀山平に到着する。国民宿舎「かじか荘」があって温泉のみの入浴も可能だ。入浴料600円也。山荘のすぐ手前に立派なキャンプ場があり、右手の丘の上に中国人慰霊碑あり、強制連行の歴史を保存している。

昼食は山での楽しみ
 かじか荘のすぐ先に未舗装の駐車場あり。数十台は止められるか(ヘリポートにも成る)。さらに数分で乗り入れ禁止のチエーンがあり車ならここまでだ。その左手脇に2台止まっている。右手に回り込んだ日当たりの良い路傍で昼食休憩にする。高崎駅で購入した駅弁を広げる。車内で買った饅頭とりんごがデザートだ。12時15分から50分までの短い昼食を楽しむ。山では何を食べてもおいしい。狭い林道を右手から左手に大きくカーブして登って行くと「かじか荘」が足下に見えてくる。2.5km先より未舗装となる。眼下の渓谷は「紅葉の名所」の表示あり。左手は深い庚申谷だが、今はほとんど落葉して谷も明るい。

一ノ鳥居
 13時45分、一ノ鳥居に到着。江戸時代には庚申信仰が盛んで、大勢の信者が講中として庚申山に登拝して賑わったようである。ここから山道になるが、まだ広い石段が続く。左手の先に「庚申七瀧」があるというので荷物を下ろして見にゆく。途中で中年男性の単独登山者に2人会う。今朝、8時30分と9時に駐車場からピストンだという。皇海山はそんなに近いのかと驚いたが、翌日登ってみて庚申山のことを言っているということが判った。

庚申山荘
15時15分に足尾町営の木造2階建ての大きく立派な山荘に到着する。唐松林に囲まれた山の中の一軒家である。泊まり客は私一人。1階は管理人室と自炊室それに宿泊用が2部屋。2階は間仕切り無しの大部屋だ。延べ100人ほどが泊まれようか。布団はあるが少々湿っぽい。明るい内に明日の皇海山へピストンする持ち物の準備をする。大きい重いリュックは置いて行く。雨具と食料、お茶とおやつなどをサブリュックに詰めて枕元に置く。暗くならない内に明日の道しるべを確認に小屋の表に出てみるが標識は詳しくない。簡単な夕食と果物で早い眠り支度をする。暗くならない内にシュラーフに入る。 庚申山荘
 足尾町役場開発事業室観光係  0288-93-3111
  素泊まり@2000円

暗闇の宿で 夜半、目覚めると時計が10時30分で止まっている。翌日の行程を考えると心配なので、ラジオをつけて時計を合わせ腕に付けると動き出した。室内でも零下に冷えたためらしい。まもなく11時の時報。トイレに起きると月明かりだが満天の星がきれいだ。鹿が高い声で鳴いて、こちらを伺っている。ライトを向けると二つの目玉が赤く光って、しばらく逃げずにこちらを見つめている。2頭の鹿は、ベランダに出るとゆっくり唐松林に消えていった。午前4時に二度目の起床。再び鹿が鳴き、小屋の近くまでやってくる。複数居る。月は消え、星は満天で、北斗七星がとても明るく大きく見える。小屋に置いてゆくリュックにテント、シュラーフをまとめ、帰ってからすぐ出立できるように片づける。アタックザックに雨具、防寒具、水筒、食料、カメラ、ランプ、ラジオなど確認して出発する。

庚申山(1892m)へ
 5時45分山荘を出発する。森は薄暗くランプをつけて標識を伺う。六林班峠は右方向に表示があるが、肝心の皇海山への標識はない。少し不安だが左手に向かい山荘の上を巻き込むように庚申山を目指すのだ。崩落の激しい岩山の直下をゆくので心許ない。南総里見八犬伝の舞台になったところだという。一の門、大胎内など岩登り、岩くぐりの難所の連続だ。踏み後や標識は定かでなく、地図と長年の感が便りだ。1時間余り歩いて、岩尾根の稜線にたどり着くと日光の男体山方向から陽が昇ってくる。雪が現れ踏み跡も確認できたので、安心して休憩にする。雪が10Bほど積もっている。16日の木枯らし1号がもたらしたものらしい。シラビソの林に入り森閑とした山頂部は樹林に囲まれ視界は悪い。少し先にゆくと眺望の効く場所があり皇海山が初めて目に入る。大きな烏帽子のような穂先が快晴の空に鋭く峻立している。足下に明るい渓谷が落ち込んで、その右手には奥白根山が続き、さらに男体山が見える。何枚かシャッターを切る。

鋸山(1998m)
 庚申山で雪を踏む足跡が消えた。昨日出会った単独者のトレースなのだ。そこから先は自分でルートを探しながらゆかねばならない。痩せたピークをいくつも超えてゆくが、左右に下らないで常に稜線の上を外れないように注意してゆけばよい。天気が悪いときは平衡感覚も鈍るので注意を要する場所だ。道も狭いから。地蔵、薬師、白山、蔵王と鋸山に近ずく毎にピークは峻険さを増して行く。鎖や梯子、ロープとかなり厳しい。重ねて積雪量も増えてきて慎重になる。コースは相当厳しいので季節と天候を選び、初心者は経験者とゆくべし。9時5分に皇海山よりも峻険なピークの鋸山に到着する。それだけに見晴らしは抜群である。西に富士山、赤城山、武尊、谷川、北に至仏、燧、奥白根、東に男体山と360度の眺望である。いづれも白い雪をかぶっていて冬本番である。みかんと暖かいお茶で休憩する。

皇海山(2144m)
 皇海山へは、鋸の北の痩せ尾根を垂直に下ってゆく。新雪での滑落に注意しながらロープに助けられ、下ってゆくと緩やかな鞍部に達する。そこは利根村からのルートが合流している。鞍部はシラビソの林に覆われ、思ったより広く安全な尾根が皇海山へ登って行く。山頂はなだらかな林に囲まれているが、視界は大丈夫だ。10時53分に山頂到着。饅頭、ジュース、飴、お茶が無くなったので雪を食べる。再び鞍部に戻り、11時25分から10分の休憩を取って雪を食べ、飴をなめて小休止。晴天で喉が渇く。しばし倒木の上に身を預け青空を眺めて流れて行く雲を眺める。

鋸山から六林班峠へ
 再び鋸山に戻る、12時15分に到着。一度通った道は、雪があっても険しくても安心である。周囲はすっかり冬景色の雪模様。でも暖かいので心強い。みかんと菓子、雪を食べる。シラビソの疎林と刈り込まれた明るい笹原をピッチを挙げて下ってゆく。計画書より少し遅れているのが気がかりである。予定の電車に乗ること。明るい内に舗装林道にでること。これが目標である。13時05分、峠に到着。周囲は白樺林。雪はかなり減って、まだらだ。風はなく日射しが有って心持ち暖かい。腰を下ろして小休止する。

沢で休憩
 13時45分、なだらかな下り道は歩きやすい。順調に歩いて30分ほど下ると豊かな流れに出会い休憩する。冷たい水を何杯飲んだだろうか。つららの下がった流れを写真に撮る。ここからは6回ほど沢を渡る。うち、2カ所ほどを除いて流れがある。テント1〜2張りくらいなら張れるような場所も2〜3カ所ある。庚申山荘まで鹿が100mほど下部の川に沿って笹原の獣道を付いてくる。私が犬を呼ぶときの口笛で呼びかけると鹿もまた鳴き返して庚申山荘まで付いてくるのだ。不思議な同調に驚き、感動していると、いつも朝夕散歩につれて行く愛犬のことを思い出した。途中、重装備の中年登山者に出会う。

庚申山荘に戻る
 15時10分、予定を10分遅れで小屋に到着する。小屋の前は数人の登山者で賑やかだった。大きなリュックを取りに小屋に入ると中には20人ほどいて、週末の夕刻を思わせた。いずこのチームも夕食と酒盛りが始まるところだった。私は、終電に間に合うように急いで小屋を後にした。途中、鏡岩の悲しい民話に涙する。「猿と猟師」の話で猟師の三女が親孝行をするという悲しい民話だ。枯れ葉を踏みしめて、昨日登ってきた緩やかな階段道を一ノ鳥居まで出ると夕闇が迫っていた。未舗装だが林道である。ほどなく舗装道路にも出ることができ安心する。17時17分、「かじか荘」に到着するも土曜日で満員だ。入浴のみなら可能であるというが、駅までの道のりを考えると、ゆっくり入浴というわけにはゆかない。「原向」まで歩くとまた汗をかくのと万が一乗り遅れると今夜の内に東京に帰れなくなるので、入浴はしたいがあきらめた。

小滝園地
 17時50分、明治18年〜昭和29年まで足尾(銅山)三山の一つで12、000人の鉱山関係者が住んでいたという街の跡地が公園に整備され保存されている。学校や病院、置屋=料理屋も二軒あって、当時の賑わいを案内しているが、今は石垣のみが残っていて城跡のようだ。テント禁止だが一張り張っている。トイレや駐車場、水場もあるから最適地だ。そこのベンチで休憩し、月の明かりとヘッドランプで照らして水と菓子、柿を食べる。時折、車は通るが結局「原向」まで歩く。

原向駅から東京へ
 18時50分、わたらせ渓谷鉄道の新しい木造駅舎に到着。誰もいない待合室に血圧計が有るので測ってみたり、周辺の案内などをくまなく読んで列車を待つ。途中、「相老」で東武電車に乗り換え、太田、北千住、日暮里、新宿と乗り継ぎ午前0時30分に阿佐ヶ谷に到着し、駅前の食堂で遅い夕食を取ってホテルに入る。

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